2673年 6月 17日 探訪
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扨、最後は此處、西鬼怒川橋依り五百米程下つて來ました處に架る、一番新しい橋であります。 |
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二徑間の混凝土桁橋でありますね。 多分スラブ形式とか單純桁と云ふ物では無いかなと思ふのでありますが、何か、一番簡素な作りに見えて仕舞ふのは、きつと技術の進歩の所爲でせうね。 |
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さくら橋。 平成十一年三月竣功であります。 はい、もうふれあひと一緒で至極一般的、無名と大して變ら無い命名かと思ひます。 と云ふか、最新鋭なのにもう草生してゐるのは如何な物かと思ふのでありますが、まあ斯う云ふ物なのでせう。 まあ、斯う云ふ具合で西鬼怒川橋梁群の報告御終ひであります。 |
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と云ふだけでは一寸物足り無いので、實際に西鬼怒の河川改修に携はつた方から聞いた話をば少し程記して置かうと思ひます。 昭和四十年代初頭に西鬼怒川の河川改修が始まり、下流側から順次工事を進めて行く豫定が、途中地元住民からの反對の聲も有り、 仕方が無いので上流側からも進め、最終的に中間地點を仕上げる形で完成を見たさうであります。 さう考へますと、昭和五十年竣功の境橋は、河川改修完了の或る意味記念碑的な物件かも知れません。 |
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其と、橋の命名に關してでありますが、地元の方々の意向を訊いて成されたさうであります。 一つ成程なと思ひましたのは、赤崖橋と云ふ名前でありまして、實は中々名前が決ら無かつたさうでありますが、 曾ては實際に崖だつた場所だつた故、當時の呼名の赤崖に決まつたさうであります。 |
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まあ其意外にも、とても書け無い事等色々教へて戴けたのでありますが、其中でも興味深かつたのは、銘板を附ける時の法則が有ると云ふ事でありました。 でも其は此報告とは別に、新たな機會にでもと云ふ事で、今囘の纏めと致し度いと思ひます。 一應、其事に關しましては西鬼怒川橋の處で輕く書きましたがね。呵呵 以上、御附合有難う御坐いました。 西鬼怒川橋梁群 其十は【此方】であります。 |