2678年 10月 2日 探訪
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此方は、某有名廢墟W村の近く、國道一二〇號栗原交叉點から西進する事約一キロ半、砥川(トガハ)に架る橋であります。 まあぱつと見には全體的に背が高いでありますが、先づ如何見ても昭和卅年代物件と云ふ感じでありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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さげぶばし。 行也讀假名の銘板でありますが、之は地區名から命名されてゐる樣であります。 併し、此處數年程で綺麗にされ、且つ地覆等は改修されたのでせう、丸で竣功後間も無くと云つた感じであります。 |
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昭和三十四年七月竣功。 嗚呼、矢張昭和卅年代物件でありましたね。 |
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高欄は混凝土管を二本使用しました、正に昭和卅年代物件の特徴的な意匠であります。 但し、一般的な昭和卅年代の道路橋と比較して親柱も高欄も背が高い事から、若かして道路規格と云ふ依り林道規格に近いのでせうか。 似た處でありますと、例へぱ 【黒羽町北野上 塚木橋】 の樣な感じでありますから。 |
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排水桝は鐵棒が管に直接附られて居ります。 |
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横から見ました處、二徑間の美しい混凝土T字桁橋でありました。 橋脚の細い型枠跡が素敵であります。 では右岸側へ移動致します。 |
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佐下部橋。 此も難讀地名だと思ふのでありますが、之で「サゲブ」とは先づ讀め無いと思ふのであります。 併し、昭和卅年代物件でも斯う綺麗に成つて居りますと、意匠的にも古さを感じ無いでありますね。 |
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砥川。
地覆、全面的に補修された譯では無かつたのでありますね。 此方の親柱の部分だけ元の儘の樣であります。 |
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後年に成り附足された歩道橋側は斯樣な具合であります。 正直、橋脚が一寸不細工な感じでありますが、まあ、でも上手く纏つてゐると思ひます。 橋歴板も附て居り竣功年も表記した有つたのでありますが、確か昭和六十年代頃でありましたかな。 實は冩眞撮り忘れたと云ふのは内緒であります。 |
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して、右岸側袂には大正六年四月に木戸澤鑛業が百圓を出して架橋したと彫られた記念碑が御坐いました。 併し之、見てゐて興味深いのは、橋名が「戸川橋」と表記されてゐる點であります。 其が何故現在では「佐下部橋」と改名されてゐるのか謎でありますが、其前に「砥川」では無く「戸川」と云ふ表記に謎が深まります。 まあ、中々に素敵な橋が見られて良かつたでありますが、此處が狹窄區間に成つて仕舞つて居りますので、何時擴幅されるか分ら無いな共思つた次第であります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |