今市市嘉多藏 石橋

2677年 3月 28日 探訪

 此方は 【今市市嘉多藏 西ノ内橋】 依り矢張五百米程清水川を上つた處に架る今市市道の橋であります。

 昭和卅八年の航空冩眞では未だ此處迄河川改修が進んで居りませんでしたので、一體何時頃架橋された物件なのか氣に成る處でありますが、 斜に成つてゐる全體の意匠等から矢張高度經濟成長期、其も昭和四十年代に入る前後の物件の樣な氣がし無いでも無い感じであります。

 と云ふ事で、如何云ふ物件なのか此方左岸側から見て行き度いと思ひます。
 いしはし。

 濁らずに「はし」と讀むのが地名では無いと主張してゐる樣な感じであります。
其に混凝土物件でありますしね。呵呵

 と云ふ下ら無い事は措いとゐて、親柱とは云へ橋臺側に附てゐるのでは無く、桁側で高欄と一體に成つてゐる型でありますね。
其と、横に附てゐるのもアレでありますが、銘板の幅で合はせてゐる意匠が結構モダアンだと感じました。

 可也痛んで鐵筋は見えて居りますがね。
 清水川。

 此方も可也痛んで居ります。

 下の方は後年に成つて混凝土で補修されてゐるのだと思ひますが、之、多分堤防の上に、上から道路に轉囘する時に自動車若は農耕車が當つての結果なのだらうと推察致します。
 高欄は混凝土板を二枚使用致しました意匠であります。

 此邊が年代を想起させる點でせうか。
 排水桝は西ノ内橋同樣、地覆の部分から横に出て居ります。

 では右岸側へ移動致します。
 あれまあ殘念、銘板は取外されて居ります。

 多分でありますが、此處に竣功年度の表記された銘板が附てゐたのでは無いでせうか。

 と云ひますか、之は盜難被害に遭つた感じでありますかね。

 親柱的には結構良い状態だつただけに勿體無い感じであります。
 石橋。

 何故に橋名が石橋なのかは謎でありますが、元は本當に石橋が架つてゐたのでせうか。

 併し嗚呼、此方も外されさうに成つた形跡が御坐いますね。
無事で何依りであります。
 横から見ますと、所謂牀版橋と云ふ形式でありますね。
靜かな川面の御蔭で、主桁の下の状態が冩つて確認出來たのが幸甚でありました。

 扨、竣功年でありますが、日光市の橋梁點檢結果を見ますと、如何やら昭和四十年竣功の樣であります。
矢張なと云ふ感じで、納得であります。

 まあ、此方も當時の雰圍氣を手荒く殘して居りますので、歴史的物件に成る迄此儘頑張つて欲しいと思へる物件でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

戻る