今市市瀬尾-小百 新滑川橋

2678年 10月 2日 探訪

 此方は 【今市市瀬尾 滑川橋】 依り九百米程板穴川を上つた處に架る橋であります。

 直横には新しい「新滑川橋」と、全く同一名の橋が架つてゐるのでありますが、其つて如何なのでせうかと思ひつつもまあ良いや。呵呵

 扨此方、ぱつと見には昭和廿年代後半から卅年代初頭と云ふ感じの橋でありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で、此方右岸瀬尾側から見て行き度いと思ひます。
 しんなめがわばし。

 飾氣の無い小振な銘板が親柱の上の方に附て居りまして、植物に隱れる事無く見易いであります。
と云ふのは後からの利點だと思ひますが。

 まあ、如何見ても上記の年代の物件と云ふ感じであります。
 昭和三十四年二月竣功。

 成程、矢張昭和卅年代初頭と云ふ年代でありましたか。

 戰後十年以上は經過してゐるとは云へ、未だ質素な意匠で十分だつたと云ふ感じでありますかね。

 此數年後からの凝つた意匠とは隔世の感が御坐います。
 高欄は 【今市市長畑 第一山の神橋】 と共通の意匠であります。

 之も年代を感じさせて呉れる部分であります。

 では左岸側へ移動致します。
 新滑川橋。

 併し不思議なのでありますが、此方「板穴川」でありますのに、何故に「新滑川橋」なのでせう。

 併し、混凝土の痛み具合が全體的に凄い模樣に成つて居りますね。
 滑川。

 と思ひましたら何と此方、「滑川」と表記されて居ります。

 古い地圖で確認致しますと、ずうつと「板穴川」に成つてゐるのでありますが、昭和も後期に成りますと「霧降川」と表記されてゐる時も御坐いました。

 と云ふ事は、時々河川名が變更に成り、此方が架橋された時には「滑川」と云ふ名稱に成つてゐたと云ふ事なのでありますかね。
 下を覗き込んだ處、橋脚の土臺の周圍に、何か石等で圍ひが作られて居りました。
之は増水時に何か、多分石とか岩が直接橋脚に當るのを防ぐ爲の物なのでせうか。

 其共、舊橋時代の何かの名殘でせうか。
 横から見ました處、二徑間の混凝土T字桁でありました。

 橋脚の型枠の細さも相俟つて、拙的には美しい橋であります。

 多分此方、田畑へ農作業に向ふ利便性の爲に殘されてゐるのでせうが、其御蔭で良い物件が見られたと云ふ感じであります。

 斯う云ふ、昭和卅年代迄のRCTが何時迄も、出來る限り現存してゐて呉れる事を願ふ許であります。

 だつて、其内歴史的價値が出ると思ひますから。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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