2682年 2月 15日 探訪
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此方は
【藤岡町内野 赤麻橋】
依り西側に五百米程の所、池内水路に架る橋であります。 御覽の樣に廢橋でありますし、多分に赤麻橋同樣の年代かと思はれますが其實如何でせうか。 と云ふ事で、簡單に此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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近附ば辛うじて讀める"谷中橋"の看板が御坐いました。 多分之は藤岡町の町章か何かだつたのでせうか。 因に橋名でありますが、舊谷中村、若くは谷中湖から來てゐるのだと思はれます。 併し、12t制限と成つてゐた樣でありますが、何か、或る意味御呪の樣な物でありましたかね。 |
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親柱は無く、當然の樣に銘板も御坐いません。 轉落防止にラバアポオルが附てゐたであらう跡は御坐いますが、當然撤去されて居りました。 では右岸側へ移動致します。 |
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横から見ました處、パイル形式の橋脚を持つ六徑間の混凝土牀版橋でありました。 さうして、此方も赤間橋同樣中央部の桁だけが鈑桁に成つて居りました。 |
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橋脚の梁部を見ますと、最初から鈑桁を載せる樣に成つてゐる樣に見えますので、補修での状態では無く設計時から斯う成つてゐたのでせう。 其にしましても、牀版がH鋼を竝べたゞけに見えるのでありますが、其で良いのでせうか。 |
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左岸側の桁の下、橋脚と橋臺の中程に板が竝んでゐるのが見えるのでありますが、舊橋の痕跡。と云ふ依りは元からの護岸でせうか。 |
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右岸側には谷中湖の看板は御坐いませんでした。 但し12t制限標識はちやんと御坐いました。 まあ、中々に雰圍氣の良い廢橋が見られて滿足でありました。 之も渡良瀬遊水池の歴史でありますね。 以上、御附合有難う御坐いました。 |