藤原町横川 舊瀧上橋跡

2677年 8月 1日 2680年 4月 28日 探訪

 此方は 【藤原町上三依 舊開明橋跡】 依り三キロ半程國道一二一號を北進した處、と云ひますか、 【藤原町横川 不動橋】 の百米程北側の、曾て男鹿川に架つてゐた橋の跡であります。

 まあ實際にはも少し先、僅かでありますが廢道部分を入つて行つた先なのでありますが、何と無く行く氣がし無かつたので、國道から見ただけであります。

 ではまあ、此方左岸側から見て行きます。
 男鹿川。

 曾て青看全盛時に設置された河川名表示板でありますが、最早すつかり錆て居りまして、微に判讀可能な状態であります。
 して、何と無く橋臺近邊迄行き度く無かつたのかゞ横から見た時に判明致しました。

 此方左岸側、橋臺の翼壁邊が結構洗掘されて土砂が流出して居りまして、手荒く危險な状態だつたのであります。

 之多分、橋臺手前迄ちやんと土砂が殘つてゐるか如何かも怪しい處でありますね。
 之が三年前の八月一日に來た時の状態なのでありますが、此時も何か止て措いた方が良いと云ふ豫感がしまして、國道から見たゞけで止て居りました。

 之では足元の状態が全く分りませんからね。
 まあ不取敢右岸側の橋臺も撮つて措きます。

 うむ、まあ、多分でありますが、橋臺の堅壁上部の姿から、多分戰前物件若くは昭和廿年代物件で、載つてゐたのは混凝土T字桁だつたのでは無いでせうか。

 あれ、何か矢張右岸側橋臺も翼壁邊の樣子が變でありますね。
 あれま、翼壁が捲れて中の土砂が、是は相當流出してゐるのでは無いでせうか。

 さう、前囘も今囘も、矢張左岸側だけで無く右岸側も何と無く行か無いで良いと云ふ感じだつたのでありますよ。

 うむ、是で、今囘の之を見て納得の豫感でありました。呵呵

 同樣に、此方右岸側も可也流出して居りますよね、矢張。
 して此方は三年前に現在の瀧上橋上で横から見た處であります。
夏場の早朝でありましたので斯樣な良い景色が見られました。

 さう、所詮廢道でありますから、如何云つた危險が潛んでゐるか分ら無いのであります。
今囘偶々拙は何と無くの何時もの豫感で止て措きましたが、本當に此處は危險だと思ひますので、絶對に近寄ら無い方が良いと思ひます。

 小國民の皆は決して眞似し無いで下さいね。

 尤も、此な處先づ見ないでありますか。呵呵

 以上、御附合有難う御坐いました。

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