藤原町小佐越 木戸ケ澤橋

2678年 10月 2日 探訪

 此方は 【藤原町大原-藤原町小佐越 萬年橋】 依り鬼怒川を七百五十米程下つた處、合流する支流の木戸ケ澤に架る橋であります。

 さうでありますね、道路的に書きますと、國道一二一號鬼怒バイパスの一本西側の道で、日光江戸村の北端の邊に架つてゐる橋、と云ふ感じであります。

 扨、ぱつと見で如何にも高度經濟成長期頃の橋かなと云ふ感じでありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で、此方右岸側から見て行き度いと思ひます。
 木戸ケ沢橋。

 基本的に新字體で書かれて居りますが、「戸」が何方かと云ふと正字體と云ふ感じでありまして、如何にもな年代を感じます。
 下流側は無記名であります。

 まあ、小さい澤の橋でありますから斯う云ふ物でせう。
 高欄は混凝土板を二枚縱に使用しました意匠であります。

 斜や横に使用して居ります例は結構見ますが、縱と云ふのは珍しいかも知れません。
枚數は違ひますが、似た事例でありますと 【那須町大和須 大井橋】 でせうか。

 まあ、年代も含てほぼ同時期だと思ふのでありますがね。

 では左岸側へ移動致します。
 木戸ケ沢。

 橋名、河川名其々一枚ずつと、手荒く合理的であります。

 さう、如何やら此方木戸ケ澤、以前上流に鑛山が在つたらしく、其系の好事家の間では結構有名な樣であります。
 はい、無記名であります。
 横から見ました處、まあ之は牀版橋でありますね。

 して、舊橋の痕跡等も在るか如何か良く見てみましたが、御坐いませんでした。
 其時、左岸上流側に橋臺の跡の樣な物を見附たのでありますが、多分之は舊橋の物と云ふ依り、此方の架替時の假橋跡程度の物では無いかなと思ひました。
と云つても何か不自然な構造物でありますがね。

 扨、竣功年でありますが、當然の樣に分りませんでしたので航空冩眞を頼りにして見たのでりますが、昭和卅八年以降五十年未滿、と云ふ感じでありました。
でありますので、橋の雰圍氣等から昭和四十年代前半頃の物だとは思ひます。

 まあ、餘程の事が無い限り、此儘多分永久橋と成得るのでは無いかなと思へる良い物件でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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