藤原町五十里 片足沢橋

2680年 4月 28日 探訪

 此方は 【藤原町五十里 大畑橋ト舊橋跡】 依り一キロ程國道一二一號を北進した處、片足澤に架る橋であります。

 現在は上下線其々で橋が分れて居りますが、元々は此方上線側の一本だけでありました。
して、一見しますと然程古い橋の樣には見えませんが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。
 昭和三十一年九月竣功。

 流石五十里ダム建設に伴ふ道路附替に成り出來た橋でありますね。

 併し、何か親柱土臺部分と地覆に違和感を感じるのでありますが、多分之つて後年に成り改修され度物なのでは無いでせうか。
 片足沢橋。

 でありますので、左右での出來に若干の違ひが御坐いますものね。
 高欄は鞍馬の樣な形状の輕合金製でせうか。

 うゝむ、確か輕合金製の高欄つて意外と後年、昭和四十年代後半頃から本格導入、殊縣道に關しましてはさうだと元職の方に伺つた事が御坐いますので、 後年に成り地覆と共に改修され度物でせう。

 昭和卅一年で斯樣な姿の物が在るとは思へませんものね。
 して、路盤側の伸縮裝置は多分、元からの物だらうとは思ひます。
 排水枡は當時物だと思ひます。

 では、右岸側へ移動板します。
 昭和三十一年九月竣功。

 おや、珍しいでありますね、竣功年で兩岸對稱とは。

 而も、年度末では無く上半期末で締めてゐると云ふのが、未だ大らかな時代を象徴してゐる樣でもあります。
 かたあしざわばし。

 此方側で假名表記とは驚きました。
 横から見ました處、拱橋だと云ふのは分るのでありますが、正確な形式名は何だと思ひ調べて見ました處、鋼二ヒンジソリッドリブアヽチださうであります。

 成程、以前から普通に渡つてゐた時にも、何か一徑間で之だけの川幅飛ばしてゐると成ると、時代的に拱橋かなと思つてゐたのでありますが、矢張でありました。

 併しまあ、普段は此邊等交通量が多く斯うして見られ無いだらうと思つてゐたのでありますが、千歳一遇の好機が突然訪れましたので見られた譯でありますが、 實に美しい物が見られて大滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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