馬頭町馬頭 舊前山橋跡

2675年 10月 5日 探訪

 此方は 【馬頭町馬頭 古館橋】 の直隣、矢又川(ヤマタガハ)が武茂川に注ぐ直前の物件であります。

 不用意に廣く成つてゐる現道の國道二九三號との交叉點の直下、不思議と草生した廣場が御坐いましたので見た處、舊道の殘骸でありました。
不取敢降りても登れさうでありましたので、一寸降りて觀察する事に致しました。

 すると、ガアドレイル以前の混凝土管を使用しました轉落防止柵が附て居りまして、隨分と舊世代の道路跡だと云ふ事は分りましたが、 其先に親柱が在る事が何と云つても一番の收穫であります。

 では、此方右岸側から見て行きませう。
 をゝ、此方右岸側は兩側共に親柱は健在であります。

 對岸、左岸側は河川改修もされてゐるのでせう、橋の痕跡は皆無でありますが、何と無く道路の繋る雰圍氣は感じ取れます。

 まあ、結構嵩上げされて居りますよね。
 矢又川。

 隨分と凝つた意匠の親柱であります。
其と銘板も縱では無く横でありますし、何故か明朝體其儘と云ふ文字も新鮮であります。

 して、何か何處かで見た樣な意匠だなと思つたのでありますが、此方 【高根澤町花岡 太田堀橋】 とそつくりでありますから、多分同年代、昭和卅前後ころに架橋されてゐた物件なのだと推察致します。
 前山橋。

 良く見ますと良いでありますね。
輕く洗出仕上されて居りますかね、普通に混凝土其儘と云ふ質感とは違ふと思ひます。

 其に字が明朝體と云ふのも、既に手書の時代の終焉を豫期してゐたかの樣でありまして、手荒く前衞的な要素を盛込でゐたのだと思はれます。
 其横にはずうつと以前からの護岸が殘つて居ります。

 其と、混凝土柱の殘骸は如何云つた物だつたのでせう。
 橋臺を見てみました。

 支承が如何成つてゐたのか、如何云つた主桁が載つてゐたのか分るかなと思つたのでありますが、之では良く分りませんね。

 でも多分、何と無くの痕跡や年代的な事を推察して、T字桁だつたのでは無いかなと推察致します。
 扨、如何云つた構造だつたのでありますかね。

 之で何世代分かの痕跡が知れると云ふ感じであります。

 では、一應左岸側へ移動致します。
 之、橋臺つて今の護岸の内側に其儘埋つてゐるのでありますかね。

 と云ひますか、何か斯う云ふ空間つて良いでありますね。
 何故斯う云ふ具合に殘されたのか不思議な空間でありましたが、航空冩眞で見る限り、ずうつと昔からの路盤だつたのは間違ひ無い樣でありますので、 或る意味歴史的な痕跡なのでは無いかと思はれます。

 唯、出來ますれば此物件の先代の痕跡等も在ればもつと面白かつたのでありますが、流石に其は無理な注文でありますし、之が見られただけでも十分に滿足でありました。

 唯、登る時に此柵が結構邪魔だつたと云ふのだけは記して措きますかね。呵呵

 以上、御附合有難う御坐いました。

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