馬頭町小砂 上竹橋

2677年 3月 7日 探訪

 此方は 【馬頭町小砂 名稱不明橋】 依り五百米強程栃木縣道廿七號線を北上した處、小口川に架る橋であります。

 ぱつと見に立派な親柱が建つて居り、高欄からも如何にも昭和卅年代物件的な雰圍氣が感じられますが、其實如何な物でせうか。
舖裝が盛られてゐ度りするのが些かアレでありますが、不取敢此方左岸側から見て行きます。
 小口川。

 銘板は御影石でせうか、字體と合せて手荒く素敵であります。

 因に、讀みは「ヲグチガハ」であります。
 上竹橋。

 字體が手荒く素敵であります。

 間違無く竣功當時の首長、縣道でありますから多分縣知事でせうが、達筆な方だつたのでせう。
 高欄は混凝土管を一本使用した意匠であります。

 其と、親柱でありますが、如何やら橋臺に附てゐるのでは無く、桁の方に附てゐる樣であります。
 排水桝は管のみで直接と云ふ状態であります。

 嗚呼、舖裝が盛られる前、多分混凝土其儘の牀版の状態で如何云つた意匠だつたのか知り度い處であります。

 では右岸側へ移動致します。
 昭和三十六年十二月竣工。

 矢張昭和卅年代物件でありましたか。

 拙的には矢張此頃の橋が戰後の一番橋らしい橋と云ふ感じの意匠であります。
 かみたけはし。

 其に此全ての親柱で銘板の表記が違ふと云ふのも良いでありますね。
何處に如何云つた銘板が附てゐるかで管理者が何方の方向に在るかも分りますし、欲しい情報がほぼ全て得られますしね。
 横から見ますと混凝土T字桁、と見せ掛て、多分牀版橋だと思はれます。

 さう、二六七八年に成つてからの探索で分つたのでありますが、斯う云ふT字桁にしては薄いなと思はれる場合、地覆が迫出てゐるだけでありまして、 實際には牀版橋と云ふ物件を見たのであります。

 併し嗚呼、橋臺側も道幅に合はせる樣に迫出してゐる邊が素敵であります。
だつたら其處に親柱附れば良かつたらうにと思つて仕舞のでありますが、豫算の關係等々、色々な事情が在るのでせうね。

 と云ふ具合で可也素敵な物件でありますので、出來る限り殘つてゐて欲しいなと思ひました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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