2678年 5月 22日 探訪
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此方は
【馬頭町大那地 深澤橋】
依り百米程南側、栃木縣道二三二號線の現道を挾んで反對側、矢張縣道二三二號線の舊道部分、大那地川に架る橋であります。 以前自動車にて來た時には全く氣附無かつたのでありますが、今囘徒歩にて探索して居りましたので、此方にも橋が架つてゐる、而も如何やら手荒く古さうだと云ふ事に相成りまして、 今囘じつくりと見る事にした次第であります。 一體如何云ふ橋なのか、其實を此方右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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まあはつきり云つて、判讀不能でありました。 不取敢、銘板に當る部分が有り、混凝土に直に文字が彫つて有ると云ふ事が分る程度であります。 と云ふ事で、昭和十年前後頃か其以前の物件では無いかと推察致します。 |
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高欄の意匠は、穴が開いてゐると云ふ程度しか分りませんね、之では。 まあ、或る意味此儘自然に還ると云ふのも自然の攝理からしますれば當然の事でありますので仕方無いであります。 |
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此方も親柱の直傍に、最早立派な木が生えて居りまして、其内親柱と一體に成つて仕舞のでは無いでせうか。 ええ、何か書いて有る醉うでありますが、當然の如く判讀不能状態であります。 |
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横から見ますと、此方は牀版橋と云ふ形式でありますね。 而も面白い事に、戰前物件であらうと思はれるのでありますが、親柱は桁の方に乘つてゐる醉うであります。 併しまあ、橋臺の混凝土の打方が如何にも戰前と云ふ雰圍氣でありますね。 では左岸側へ移動致します。 |
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此方も判讀不能、かと思ひましたが、何とか讀めさうな樣な氣が致しました。 |
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うむ、何とか「大那地川」と讀めますね。 多分。呵呵 と云ふ事は、冩眞二枚目は「大那地川」と書かれてゐた可能性が手荒く高いと云ふ事でせうか。 |
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此方も讀めると良いのでありますが、如何でせう。 |
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うゝむ、もう混凝土が風化して來て居りまして、可也難しい状態でせうか。 一番下だけは多分に「橋」とは讀めさうなのでありますが、如何せん其上の方が手荒く惱みます。 地名等から察するに、「大那地橋」「亭道地橋」「中坪橋」の何れかでは無いかと思ふのでありますが、まあ何共云へません。 でありますので、名稱不明とさせて戴きました。 併し今は資材置場の樣に成つて居りますが、供用廢止に成つた今も殘つて居り、且つ役に立つたゐると云ふのは素晴しいと思ひます。 出來れば此儘ずうつと殘つてゐと欲しい物件でありますね、歴史的な物でありますから。 以上、御附合有難う御坐いました。 |