高根澤町寳積寺 古道ト思ハレル道

2673年 3月 12日 探訪

 何處かに舊道や古い橋が無いかと、ぐうぐる地圖で高根澤町を見てゐましたら發見致しました。
此は確實に舊道でありますね。

 ※googleマップの畫像を拜借致しました。
 して、次に昭和廿二年の航空冩眞を見てみましたが、成程、多分戰前から今の線形に成つてゐると云ふ事でありまね。

 と云ふ事は、相當に古い道と云ふ事でありますかね、下坂の樣に。

 と云ふか、まるで別世界であります。

 ※國土地理院の畫像を拜借、加工致しました。
 【現在地】

 扨、と云ふ事で遣つて來ました。
現在の線形からしますれば、一寸不自然共云へ無くも無いと云ふ感じに分岐してゐます。

 否、寧ろ故道の時が如何云ふ線形だつたのか知り度い位の感じであります。
 微妙な曲り方が故道らしくて手荒く素敵であります。

 して、其處には何か無理矢理現道の方に向た石碑が建つて居りました。
 と思つて見たら生駒さんでありました。
北關東迄遠征御苦勞樣であります。

 否、本當はもつときちんと冩眞撮り度かつたのでありますが、結構斜面が急なのと、車道に降ると交通量が多いので車に轢かれさうに成りさうなので、 此程度が精一杯でありました。
でありますので建立年等は分りませんでした。

 多分、古いと思ひます。呵呵

 と云ふか、肝心の神社は何處に在るのでせう。
 訪た時此處等邊は丁度擴幅、若しくは舖裝し直しの最中でありました。
多分に自動車の往來を考慮しますれば、此程度の幅員は欲しい處でありますね。
 阿久津小學校入口の道路が出來た事に因り、一寸開削され度りして勾配が加はつたのでせうか。

 因に、阿久津小學校が現在の地に移轉しましたのは昭和廿四年の事ださうであります。
 其先は如何にも古道つて感じが殘つてゐる樣でありまして、手荒く良い雰圍氣であります。

 其に、街燈の形が又味はい深いであります。

 併し街燈が在ると云ふ事は、今でも歩道として生きてゐるのでせうか。
例へば通學路として。
 嗚呼、何て素晴らしい日本の風景と云ふ感じであります。

 蜩が鳴く季節、夕方遅く迄鬼怒川で遊んでゐた少年が家路を急ぐ時、ふと何かが街燈の光の下、御墓へ向ふ様に横切つたのを見た氣がする。
さうして少年は、何処と無く生温かい風を頬に感じつつ駆け抜けたのであつた。

 とか云ふ様な場面を思はず想像して仕舞ひました。呵呵
 【現在地】

 御墓を過ぎますと、やつと下り始まります。

 舖裝されてゐ無ければもつと雰圍氣は良いのでせうけれど、落葉で大變な事に成りさうであります。

 と云つても、其が自然の營みなのでありますが。
 扨、愈々現道の傍に出る譯でありますが、何れ位高低差が在るのでせうか。

 電線が目線の高さと然程變ら無い邊りで、大凡は想像に難く無いのでありますが。
 こ、此は高いと云ふ依りも前に、先づ狹いとしか云へません。

 多分之、現道が何時今の幅員に成つたのか分りませんが、其時に結構斜面が削り取られ、此方も現在の狹さに成つてゐるのでは無いでせうか。

 勿論、もう車道としての機能は無くても良い譯でありますので、歩道としての幅員さへ確保出來てゐれば良い程度に、と云ふ感じで。

 とは云へ、當時なら良かつたのでせうが、之、現代では些か狹い樣な氣が致します。
 いやあ、此處、自轉車では狹くて大變であります。

 と云ひますか、自轉車乘入て良かつたのでせうか。
前から歩行者が來たら避ける事出來無い位の幅なのでありますが。
 嗚呼多分、元々は此處で折れて、今の道筋と同じ方向へ向てゐたのでせうね。
今ではも少し先迄歩道として幅が確保されて居りますが。

 と云ひますか、いやはや、此處から依り一層狹く成るのでありますか。
 此は何でせう。
唯でさへ狹いのに、依り一層狹く成つて居りますよ。

 正直、折疉み自轉車のハンドルで精一杯と云ふ感じでありました。

 古井戸か何かなのでありますかね。
 其處を過ぎ、國道四號との交叉點迄下り切る前に、傍らに石碑が御地藏樣、御墓が立竝んで居りました。

 歩道を占據した儘ではアレかと思ひじつくりとは見てゐ無いのでありますが、寛政二年や明治廿一年と刻まれた物が見受られました。

 と云ふか、寛政頃の物つて殘つてゐるの多いでありますね。
矢張永年殘すには石に刻むのが一番と云ふ事でせうか。
 其の傍らの法面には工事銘板が。

 成程。

 嗚呼さうさう、町道の路線番號つて地圖上では分ら無いのでありますよね。
かと云つて現地で色々見ても分りませんでしたので、今囘其處が一寸殘念な處でありました。

 だからと云つて、斯う云ふ趣味の爲に御役所に問合せして仕事の邪魔をするのも氣が引けますし、如何した物でありますかね。
 して、最後の最後で側溝が右に折れて行くのでありますが、明治四二年の地圖を見ますと、如何やら元々は其方に向ふ道が在つた樣であります。
でありますが、其後は廢れて消滅してゐる樣でありまして、當然の如く今では其痕跡も分りませんでした。

 多分でありますが、其道は陸羽街道が出來た事に因り廢れて行つたのかも知れません。

 併し普段通つてゐる樣な處でも、ふとした切掛で實は長い歴史が眠つてゐる場所だつたと知る事が出來る物でありますね。
御蔭で良い道を通る事が出來ました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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