御前山村野口 國道一二三號舊道

2674年 1月 2日 探訪

 【現在地】

 元旦早々に年末調整を仕上、翌二日から早速と舊道探訪、而も今囘は少々遠征致しまして茨城縣へ遣つて來ました。

 何故かと云ひますと、2673年も末の頃、友人と世間話をし乍何時もの道程を運轉中、件の場所が工事中で通行止に成つて居り、 多分に途中の古い橋が架替に成るに違ひ無いと思ひ、慌てて寫眞に收るべく赴いた次第であります。
其も、流石に正月三箇日でありましたら休止中だらうからと思ひましてね。

 閑話休題

 して、此方が舊道との分岐點でありまして、現在の道は緩い曲りで滑らかな線形に成つて居ります。
其で以て不思議な事に、此分岐點、意外と日中でも氣附無いのであります。
意識して見て初てさうだつたのかと云ふ程度でありますので、人間の感覺と云ふ物は不思議だなあと思ふ次第であります。

 では、如何云ふ具合が見て行きませう。
 少し進んた處で振返りますと、斯う云ふ具合であります。

 野口宿から降りて來て、多分此線形が元々の山際を描いてゐたのかも知れません。
 確か此方、バイパス計畫云々と云ふ事も日刊建設新聞のペイジで讀んだ樣な氣がするのでありますが、其爲の用地でせうか、左手が擴幅される部分の樣に見受けられます。

 舊道の方はと云ひますと、工事の爲に砂利が乘つてゐる所爲でせう、何處と無く舖裝される以前、當時の儘の姿の樣にも見えるのでありました。
 【仲居橋】 を渡り進みます。
 右に折れます。

 道の左右で土地に高低差が在るのが如何にもと云ふ感じで素敵であります。
 嗚呼、良い高低差でありますね。

 然し斯う云ふ地の利に適つた線形がどんどん失はれて仕舞ふのは殘念であります。

 多分、最終的には電柱の竝び通り眞直に道が拔ける樣に成るのでせうか。
 右手の敷地は舊道化後に出來た物件の樣であります。

 此處、元々は中央線が引かれていた樣でありますが、現在の舖裝には其痕跡が見受けられませんので、後年に成り舖裝し直されてゐる物と思はれます。
 現道が見えて來ました。
 間も無く合流であります。
 して、一旦輕く横切ります。
 舊線形の部分が結構な餘地に成つて居ります。

 因に、茂木の那珂川邊から此邊迄の國道一二三號でありますが、未成線であります國鐵長倉線の爲に買收濟の用地を使用して造られてゐると云ふ事らしいのでありまして、 成程、確にさう云はれますと、なだらかな勾配と云ひ曲線と云ひ、納得出來る部分が結構御坐います。

 此報告の舊線形部分は明治時代の地圖でも確認出來ますのでアレでありますが、若しかしますと現道の部分が"さう"なのでせうか。

 以上、御附合有難う御坐いました。

戻る