矢板市長井-藤原町藤原 栃木縣道六三號線舊道 【其九】

2676年 1月 1日 1月 5日 探訪

 【其八】からの續きであります。

 【現在地】

 【鹽谷町上寺島 舊東立室橋】 を渡りましたら直左に折ます。
 辛うじて未だ道だと分る部分を登り氣味に行つて合流であります。
 扨、どんどん先に進みませう。

 【現在地】

 新しい橋の在る處に舊橋跡在りと云ふ事で、此方オケ澤の上流側を見てみたのでありますが、案の定左岸側に倒れた進入防止柵を發見致しました。
當然の樣にもう橋臺は兩岸共に跡形も無く成つてゐるのでありますが、確實に舊線形が此方だつたと云ふ證かと思ひます。

 でありますので、輕く冩眞をば撮つて措きますか。
 林道を少し入る樣にしてから左に折てゐたと云ふ譯でありますね。
 右岸側は何處が渡河地點なのか判別に惱みます。

 まあ、此冩眞に冩つてゐる範圍の何處かでせう。

 因に、此手前、鹽谷町豐月平放牧場の少し先、石小屋澤の左岸側にも舊線形の名殘の部分が在るのでありますが、其以外の痕跡が無い感じでありましたので、 今囘は割愛致しました。
 【現在地】

 明からガアドレイルの外側に舊線形の部分が存在致して居ります。
 當然の樣に入つて見ましたが、舖裝も其儘でありました。

 同時に、其儘殘された標識が、或る意味間違無く現役で用を足してゐると云ふのが素晴しいであります。
 まあ、舊線形側は寸斷されてゐるのでありますがね。
 先に石積の擁壁が少し殘つてゐる事から、舊線形は彼方に迄行つてから急激に左に折てゐたと云ふ事なのでせうかね。
 と思へば此方、内側にも石積部分が殘つてゐる事から、寸斷された部分も、若かしますと地盤の安定性を考慮して現道同樣に土盛されてゐるのかも知れません。
 斯う云ふ具合でありますので。

 て、何か良いのかなと思は無くも無いのでありますが、まあ、其内改修される事でせう。
 外側の石積の擁壁の邊から見て居ります。

 舊線形時代に何度か通つた經驗が御坐いますが、當然の樣に當時の面影は皆無であります。
 【現在地】

 西荒川の渡河地點、と云ひますか、西荒川つて此方の方から流れてゐると云ふのが驚きでありますが、矢張同樣に眞直入る部分が御坐いましたので、 勿論舊線形部分だらうと云ふ事で、入つて見る事に致しました。
 先は林道に成つてゐるのかと思ひきや、道は無い状態でありますので、舊線形確定でありますね。
 此邊が川に對して直交する邊でせうから、此邊が渡河地點だつたのでは無いでせうか。
 現在の高原一號橋から上流側を眺めますと、左岸側に橋臺は殘つて居りました。

 矢張と云ふか意外と云ひますか、結構低い位置で渡河してゐたのでありますね。

 併しううむ、之は橋臺の桁が載る部分の厚味が然程でも無い事から、牀版橋が架つてゐたのでありますかね。

 出來れば其時代の冩眞でも在れば見てみ度い處であります。
 流石に右岸側に痕跡は無いなと思つてゐたのでありますが、橋の直下流側、護岸の下の方にぶ厚い混凝土の構造物が出張つて居りました。

 之が舊橋の橋臺の名殘なのでせうか。
 【現在地】

 最初は氣附ずに通り過ぎて仕舞ましたが、曲線の内側、而も結構低い位置に舊線形が殘つて居りました。
 結構手前から姿を表してゐる樣であります。

 と云ひますか、現在の線形では隨分と勾配も緩和されてゐるのでありますね。
 斯うして降り立つて見ますと、白線の具合から道幅は手荒く狹かつたのが伺ひ知れます。
 折具合からも無理無く通行出來る樣に成つてゐるのでありますね。

 【最終囘】に續く。

戻る