鹽谷町上寺島 舊東立室橋

2676年 1月 1日 探訪

 新しさうな道の新しさうな橋の横には舊物件が在る。

 と云ふ事で、元旦早々から廢道歩きをして居りまして、現在の栃木縣道六三號線の立室澤の橋の上から上流側を眺めた處、はい、案の定舊橋が御坐いました。

 と云ふ事でありますので、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。
 此方も 【矢板市長井-鹽谷町上寺島 名稱不明橋】 同樣、何方かと云ふと農用道や林道規格の樣な橋でありますね。

 と云ひますか、之が竣功當時の儘の姿なのでせうが、本當、未だ此儘でありましたら險道と呼ばれてゐた事でせう。
 作りも手荒く原始的と云ひますか、橋臺の上に牀版橋が其儘載つてゐるだけ、と云ふ樣な外觀であります。

 併しまあ、竣功當初からしますれば隨分と橋臺下の石も土砂も流出したのでせう、何かぱつと見に不安定さうな感じに見えて仕舞ます。

 其に何と云ひますか、斯う云ふ橋にも結構土砂が堆積するのでありますね。
既に路盤は完全に見え無く成つて居りますから。
 扨、當然の如く橋名も竣功年度も分りませんので新橋に解を求めたのでありますが、東立室橋と成つて居りましたので、其舊橋でありますから同じ名前だつたのでは無いかと推察致しました。

 其と、竣功は多分、上記の名稱不明橋同樣縣道指定に合はせたのでせうから、同じく昭和卅年代後半の物件なのでは無いでせうか。
で以て、橋名は近くの山から附られた物の樣であります。

 不取敢まあ、新橋が竣功した後にも撤去される事無く殘つてゐたと云ふ、或る意味貴重な歴史的物件でせうから、 此儘縣道指定當時の雰圍氣を傳へる爲にもずつと殘つてゐた欲しい物件だなと思ひました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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