上河内村今里 栃木縣道三四八號線舊道

2673年 7月 1日 探訪

 【現在地】

 成程、今は斯う云ふ呼び方するのでありますか、此道路。

 尤も、上河内スマアトインタアが出來てから縣道に格上されたさうでありますし、其指定も平成廿二年からださうでありますから、拙が知ら無いのも當然かも知れません。
ずうつと此邊には御無沙汰でありましたから。

 嗚呼、ポルシエに附たETCの動作確認で一囘通つてゐるのは云は無い約束であります。

 併し此處、村道から町道、合併に因り市道に成り、舉句遂には縣道に成るとは、まるで出世魚の樣な感じであります。

 まあざつと、輕く見て行きませうか。
 架道橋前後の見通しを良くする爲でせうか、地道な線形改良の跡が伺はれます。

 でも今囘紹介し度いのは斯う云ふ所ではありません。
此處等邊は飽迄も前振りであります。
 【現在地】

 さう、今囘御紹介するのは此方、東北自動車道も御羽黒山入口も過ぎた先の此右手に分岐して行く部分であります。

 航空寫眞で觀察致しますと、現道は昭和五二年頃に完成の樣でありまして、其迄は右手の道が交通を擔つてゐた樣でありまが、 現道の完成と同時に栃木縣道一五九號線迄の全線で擴幅され、快適に通行出來る樣に成つた樣であります。

 と云ふ事で、不取敢進んで行きませう。
 入つて直ぐに、見事一車線状態であります。

 唯、丁度平地と窪地の境界邊を進んでゐると云つたら良いのでせうか、自然的な地形其儘に作られた道と云ひますか、 是が日本人が古からの考へに基いて最善の場所に通した道本來の姿なのであらうと思ひます。
多分。

 まあ、明治時代の地圖にも載つてゐる道でありますから、ずうつと以前から續いてゐるのは間違ひ無いと思ひます。
 舖裝されて居りますのに中央部分に草生してゐると云ふ事は、交通量は推て知るべしと云つた處でありますね。

 きつと現代文明關係の物が見え無ければ、江戸時代と餘り變ら無い風景が堪能出來たのでは無いでせうか。

 と云つても、杉が植林されてゐると云ふのがアレだらうとは思ひますが。
 斯うして見ますと單成る山間の道だね程度でありますが、之、道が無かつたら結構な斜面だと思ひます。
何故なら、氣附ば法面の高さが二米程にも成つてゐるのでありますから。

 法面自體は混凝土塊團でありますので昭和四十年代以降の物だらうと思ふのでありますが、すつかり苔生して居りまして素敵であります。
 大して進んでは居りませんが、幅員が狹いので中々先が見通せません。

 此緩い曲線でありますが、途中で曲率が自在に變つてゐるのが素敵であります。

 と云ひますか、此邊で對向車とか來たら嫌でしたでせうね。
 此處に丁度民家が一軒御坐いますので、其が此方の道が廢され無い理由かも知れません。
 併し何と素晴らしい風景でせう。

 左手は果樹園かと思ふのでありますが、其が良い雰圍氣を釀し出して居りますね。
 素敵な風景も束の間、現道に合流致します。
 まあ、距離が短いので直に現道に合流して仕舞ひますし、別段普通の線形改良に因る舊道部分だと思ふのでありますが、 誰かが冩眞に撮つて措か無いと勿體無いと思ひ、訪て見た次第であります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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