烏山町中央-上境 栃木縣道十二號線舊、舊々道 【其一】

2673年 10月 8日他 探訪

 【現在地】

 前囘の 【南那須町福岡-烏山町中央 栃木縣道十號線(烏山街道)舊道、舊々道【最終囘】】 の最終地點から東進する事五百米程、國道二九四號との交叉點に遣つて來ました。

 青看を見ますと左折は縣道十號線に成つて居りますが、元々は國道二九四號との重複區間でありました。
と云ひますか、今手元に有る平成二年の栃木縣地圖を確認しました處、縣道十號線と其先の縣道二七號線の舊道と舊橋が手荒く香ばしい事に成つてゐるのでありますが、 其は亦次の課題に致します。

 何かですね、興野大橋の舊橋に當るのでせうけれど、假橋状態と云ふのか沈下橋とか潛水橋と云ふのか、 航空冩寫眞で見ても之が縣道指定なのかと疑ひ度く成る樣な状態でありまして、時々無く成つてゐた樣なのであります。
勿論、今や其痕跡は那珂川の堤防迄と云ふ状態でありまして河川の中に何も見られ無いと思ふのでありますが、 ネツト上で誰も報告を書いてはゐ無さうでありますので、其内頑張らうと思ふ所存であります。
 其は扨措き、現在直進する道はバイパスとして昭和五十年代に出來た道であります。
本來は此交叉點を左折しまして市街地に入り、直に右折して街の中心部を通つてゐた譯であります。
其が烏山街道としての桝形であり、國道側も此處から北進後右折せず、少し先で左折する樣に成り、其處で桝形扱ひに成つてゐたのでは無いかなと思ふ次第であります。

 さう見ますと流石城下町と云ふ作りで興味深いのでありますが、も少し注目して戴けると幸甚であります。

 とまあ、枕が長く成りましたが、此處中央交叉點を左折して、元の線形を辿つて行くと致しませう。
 信號柱が觀光地の樣に粹に成つて居りますが、無粹な儘の方が個人的には好みであります。
且つ、信號機の周りに緑と白の縞模樣の板が附てゐれば完璧なのでありますが、今時其な物無いでありますね。

 因に、國道二九四號のオニギリ殘つてゐるかと探して見たのでありますが、もう在りませんでした。

 して、縣道十二號線は直先に見えてゐる信號を右折であります。
 では曲ります。

 古ガアドレイルが御出迎へして呉れてゐる樣で嬉しく成ります。

 併し烏山信用金庫の御膝下でも足利銀行つて在るのでありますね。
當り前でせうけれど。
 後はまあ、冗長に成つて仕舞ひますが、一キロ半程の道程を出來る限り取上げようと思ひます。

 舊家、素敵でありますね。

 信號の先、之も桝形と云つて良いのでせうか。
 凄いでありますよね、此處、ずうつと商店街なのでありますよ。
 現國道二九四號との交叉點であります。

 して、此處、一見平地なのでありますが、實は左手は結構な斜面でありまして、那珂川の氾濫原とか河岸段丘とかなのだと思はれます。

 て、何か手荒く適當な書き方でありますが、大凡意味が通じれば如何でも良いであります。呵呵
 して、交叉點から百米程で、少しずつ下り始めます。
 此方、緩く左右に折てゐるのでありますが、桝形と認識して良いのでせうか。
然すれば、烏山の街中の前後と云ふ認識に成ると思ふのでありますが。

 併し此處迄ヘキサも見當りませんので、既に全て撤去されて仕舞つてゐる樣であります。

 一枚位殘して措いてて呉れれば、好事家には有難い御襃美でありましたのに。
 併し本當、手荒く長い街竝みであります。

 嘗ては目黒の工場も在りましたし、城下町としても發展してゐたのでせうから、良い土地なのでせう。
今や以下省略。

 まあ其は全國津々浦々、何處も一緒なのでありますがね。

 さう云へば拙の知人曰く、皆勞働運動でストライキを散々遣つたものだから、目黒の工場無く成つちやつたんだよと云つて居りました。

 貴樣が原因の一部か!と喉元迄出掛りましたが、まあ、其も時代の潮流だつたと云ふ事で仕方が無いのでせう。

 嗚呼、スタミナZ7乘り度いでありますなあ。
勿論色は白いので。呵呵
 して、烏山の街は那珂川の複雜な流れに挾まれた位置に形勢されてゐると云へると思ふのであります。

 其に、地區名は一緒でありますが、境橋、宮境橋の其々から渡つて來た道が合流するのも相俟つて、 斯う云ふ具合に長い街竝が出來上がつたのだらうなあと考察する次第であります。

 でありますので、良い時には相當繁榮してゐたのでは無いでせうか。

 【其二】に續く。

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