河内町岡本 御幸坂

2673年 6月 17日 探訪

 【現在地】

 地圖を眺めてゐた時、ヤケに急角度で道が折る設定の縣道が在るんだなあと思ひ、近場でありますので西鬼怒川の序に見てみようと思ひ、遣つて來ました。

 ええと、案内標識と地圖では縣道の位置が違ふのでありますが、此處は標識に從ひませう。
何しろ、今現在居る位置の道、昭和四十年代頃に出來た道でありますし、元々岡本驛から眞直伸びてゐた、此標識で七三號線に當る道こそが本來の道筋の樣でありますから。

 と云ふ事でいざ、参りませう。
 岡本驛から遣つて來て直角に左手に折ると云ふのは中々如何して、現在の驛前の通りが出來る迄は此處の曲り角がさぞや大變だつたらうなあと想像致します。

 が、若しかしますと、前に見えてゐる車兩進入不可の部分が元祖、鐵道開通以前の道筋なのかも知れません。
 今や單成る普通の住宅街の通りの樣であります。

 昨今でありますと、餘り斯う云ふ處で寫眞を撮つてゐますと不審者扱ひされさうでありますので、走り乍撮りました。

 まあ、既に街中を長靴姿で自轉車漕いでゐただけでマダム共に怪訝さうな顏で見られて居りましたがね。

 全く、餘計な御世話だつての。
 さう、地圖では此處が栃木縣道七三號線が急角度で折る地點であります。

 實際現地に來て思ひましたのは、違ふ角度、勾配の事でありますが、其も急ぢやないかと云ふ事であります。
でありますので、地圖の縣道指定は何かの間違ひでは無いかなあ、と思ふ程であります。

 嗚呼併し懐しい、混凝土舖裝に滑止の丸い輪が刻んで有りますよ。

 道端の南瓜は落ちてゐるのか置いてあるのか、何方なのでせう。
南瓜=獨逸=メタルと、つい頭に浮んで仕舞ひますが。
 別に普通に眞直下るだけでありますが、何と無く古風な雰圍氣が有ると云ふのでありますかね、 此坂の爲に驛前から斜面手前迄道を持つて來て繋げただけだと云ふのが何と無く、と云へば良いのでせうか、 自動車が多く通ると云ふ事を餘り考えへてゐ無い頃の坂だなあと云ふ印象であります。

 と云ふか、勿論、馬車では尚更嚴しい坂ぢや無いのでありますかね。
 下り切ると、當然の如く國道四號には直角に接續する樣に近年改良されて居りますので、此處が元の道痕だらうと云ふ草叢の寫眞を撮らうとしました處、 立派な石碑が目に飛び込んで來ました。

 成程、此處は御幸坂と云ふのでありますね。
 をゝ、素晴らしい、昭和十二年十一月三日建立でありますか。

 でも一寸待つて、其つて此石碑が建立された時であつて、此の坂が完成した時で良いのでせうか。
多分、地元の方に訊かうとしましても、其記憶鮮明な方が未だ健在か如何かが疑問でありますものね、實際。

 と云ふ事で古地圖の出番なのでありますが、此方に鐵道開通後の地圖では此處の道筋が描かれて居りますので、 昭和十二年と云ふのは改修されたか何かの記念にだらうと感じました。
 成程、併し何氣無いと思つた處にも歴史が刻まれてゐると云ふのは、改て面白いと感じた次第であります。

 まあ、地元の人からすれば生れた頃から當然に在つた物だから、さう云ふ意識つてした事が無いかも知れませんが。

 あ、さう云へば此處つて縣道が重複してゐる處でも有りました。
何か其も一寸意外でありましたが。

 以上、御附合有難う御坐いました。

戻る