高根澤町寳積寺 東北本線 中橋

2673年 6月 17日 探訪

 件の震災で被災したと云ふ跨線橋、復舊したとは知つてゐたのでありますが、何度も近所を通つてゐるにも關はらず、ずつと見る機會が有りませんでした。
今囘目的地に組込む事で其現状を見て來た譯でありますが、扨如何なのでせう。

 舖裝が違ふ處がさうなのだと思ふのでありますが、段差が出來てゐたとは露共分から無い程であります。

 併し斯う云ふ狹い處つて逆に不便だと思ふのでありますが、何で態々通りたがるのか拙には理解不能であります。

 だつて、此處から百米程北上しただけで立派な踏切が在るのでありますから、其方通つた方が依り安全度も高いし確實だと思ふのであります。

 では此方右岸、と云ふのとは違ふかな、西側の法面側から見て行きます。
 上の寫眞でも御分りかと思ひますが、手前の柱も含て此處迄混凝土も破壞されて居りますと、高が數百米程度近道し度いが爲に、 一軆幾らの修理代を支拂ふ羽目に成つたのか、正直御苦勞樣と云ふ感じであります。

 勿論、同情するとしましたら何に對してかは御察し下さい。

 頑張れ街の仲間達。
 同じく東京方面側も御覽の有樣であります。

 何と云ひますかね、先づ斯う云ふ構造物が在つた場合、自分の車兩感覺が有る人ならば敬遠すると云ひますか、ぱつと見て引返す等して斷念すると思ふのであります。
其が之つて、ねえ。

 先づ第一に、如何云ふ目的で設置されてゐるのかと考へた場合、多分重量制限も兼ての事だらうと思ふのでありますが、 さう云ふ事關係無しに大型車等が無理矢理通つたと云ふ事、なのでありますかね。

 傷からしまして、普通乘用車も擦つてゐる樣な氣も致しますが。
 昭和三十六年十月竣工。

 うん、何か似た樣な構造だなと思ひましたのが此方、 【堰附帶名稱不明橋】であります。

 一寸位置關係は違ひますが、新柱とか欄干とか、まあ何と云ふか獨特の雰圍氣が似てゐるかなあと個人的には思つたのであります。
 中橋。

 否、正直、命名されてゐる事に驚きました。
まあ、竣功年度銘板が附てゐましたのでほぼ確實とは思ひましたが、何か一寸感動であります。

 併し一寸面白い事に、路盤の繼目で成程と思つたのでありますが、銘板が附てゐる柱の先迄が橋臺の部分なのであります。

 何か獨特と云ひますか、斯う云ふ部分で堰附帶名稱不明橋と似た印象を受けたと云ひますか、成程と思つたのであります。

 では東側、上線側の法面の方へ移動致します。
 何と、此方も竣功年度銘板でありました。

 矢張斯う云ふ部分が道路施設と鐵道施設の違ひと云ふ處なのでせうか。
 なかばし。

 もうね、斯う云ふ具合に引切無しに自動車が往來してゐるのでありますよ、此處。
でありますので、冩眞を撮るのも細心の注意を拂つて何とか安全に、と云ふ感じでありました。

 併し其程迄に踏切での一時停止や列車の通貨待ちつて以下省略。
 嗚呼、矢張此方も結構破壞されて居りますね。

 と云ひますか、構造物から出てゐるかの樣なタイヤの跡が何と云ひますか、ねえ。
走行不能に成ら無かつたのでありますかね。
 うわあ、之は凄い事に成つて居ります。
多分、良い勢ひで速度が出た儘今日はした自動車が多かつたのでせう、多分。

 併し此方、東側の方が震災の被害が大きかつたのでせうか。
何か色々と構造物の路面への減込具合が西側依り多い樣な氣が致します。

 其と、左右に同じ樣な角度で安全地帶が配されてゐるのでありますが、流石に自動車も此等の御世話には成つてはゐ無いのでせうね。
と云ふか、さう思ひ度いのでありますが。
 横から見ますと、色々とアレだつたのが伺ひ知れます。

 先づ目地と云ひますか、繼目の補修痕が凄いであります。
良くまあ其だけの補修で濟んだなと云ふ處でせうか。

 其と、石積の部分は杭を打込での補強なのだせうと思ひますが、凄い状況と云ふ感じであります。

 思ふに此處、複線化に伴ひ數百米程北側に在つた舊來からの道筋の踏切を廢した關係で造られたのでは無いかなと推察するのでありますが、 所詮法面への盛土で出來てゐるのせうから、彼だけの搖れを喰つたのでは無事で濟む譯が無いと云ふ處だつたのだらうと思ひます。

 まあ、もう何事も無い事を願ふ許であります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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