矢板市木幡 東北本線 第二内川避溢橋

2674年 3月 18日 探訪

 陸羽街道を南下してゐまして、何氣無く東北本線の方を眺めました處、川も無い田圃のど眞中に橋が架つてゐるのが目に飛込んで來ました。
 當然近附ます。

 然し如何も河川を埋立た樣な雰圍氣でも有りませんし、橋自體も元々低い樣でありまして、何か不思議な光景であります。
 一徑間が手荒く短いのであります。

 其に、如何見ても道では無いのでありますが、向ふには道が續いてゐる樣であります。

 後、内川の堤防も見えるのでありますね。

 あつと、橋臺には工事銘板が附て居りますし、橋脚には"1960-2"と刻まれてゐる樣でありますが、竣功時期を示してゐるのでせうか。
 此方には桁と橋脚に附て居ります。

 若かして交互に附てゐるのでせうか。
 では、先づ橋脚側から見て行きます。

 成程、"第二内川避溢(ヒイツ)橋"でありますか。
文字の大きさに違ひを持たせてゐる事から、避溢橋が主題で、第二内川と云ふのが、多文支流か何かを意味してゐると云ひますか、さう云ふ感じなのでせうか。

 と云ひますか、仕事早いでありますね。
僅かほぼ一箇月で竣功でありますか。
 次いで桁部分であります。

 此方も同一で"第二内川避溢(ヒイツ)橋"であります。

 併し、本當に仕事早いでありますね。

 して、一寸氣に成つて避溢橋つて何だらうと思ひ調べたのでありますが、如何やら築堤に因り上流側が洪水に成つて仕舞ふ被害が出無い樣、 所謂水拔の爲の橋ださうでありますね。
知りませんでした。

 併し之、東北本線複線化が何時頃だつたのかが良く分ると云ふ物でありますかね。
 多分保線用の通路橋だと思ふのでありますが、少し離れて架橋してゐる樣でありますね。
 橋臺部分。

 一體構造では無いのでありますが、支承つて如何成つてゐるのでせうか。
 低い桁を潛りまして、上下線の間に出て來ました。

 之で身長四尺四寸(約167サンチ)程度の拙の、丁度目線の高さであります。

 斯うして見ますと、上下線の工法の對比が面白いであります。

 其に此處で鐡道寫眞何て撮つたら素敵でせうね。
勿論、黄害無き現代の鐡道車兩だからこそ、でありますが。

 併し何か此處、とても素敵な眺め、且つ手荒く居心地の良い空間なのでありますが。
 して、此方が上線側の橋臺部分であります。

 何か凄い、と云ふ言葉しか出て來ません。
 桁を載せてゐる部分の材質は何なのでせう。

 何か數字が書かれて居りますが、點檢や工事關係のでせうか。
 橋脚と桁部分であります。

 橋脚は尖頭型、且つ混凝土製でありますので、多分大正時代末期から昭和初期の頃の物でせうか。

 と云つても、明治時代には東北本線は通つてゐる筈でありますので、若かして開業當初からの物なのでせうか。
だと致しますと、混凝土黎明期の物と思はれるのでありますが、まあきつと後年に成り作り替られてゐるのでせうね、多分。
 之で汽車を支へるのに十分なのでありますから感心致します。

 而も特に、木の強さと云ふ物には驚歎致します。

 と云ふか、見事な程にスカスカな上を走るのでありますね。
例へば、自分が乘つてゐる汽車が斯う云ふ上を走るのだと云ふ事を自覺出來るかと云ふか、本當、色々な支への上に今日が無事在るのだなあ、と思つて見たりして仕舞ひます。

 て、何書いてゐるのでせう、拙。
 で以て、此又凄いなと思ひましたのは、枕木を桁に固定してゐる爪、之つて線路を枕木に固定する犬釘が貫通して、其先を曲て引掛てゐると云ふ事、でありますよね。

 左右にずれ無い樣に入れて有る切込以上に驚きました。

 其と、桁の上に線路が來る樣に成つてゐるのでは無くて、二本の桁の間に線路が來る構造なのでありますね。

 矢張荷重の分散が重要なのでせうか。
 上許見てゐても飽きませんが、次に川牀(で良いのかな)も見てみます。

 此方、舊來からの上線側は石が敷詰られてゐるのでせうか。
 對して下線側は混凝土なのでせうが、何か、境目邊がアレと云ひますか、まあ如何なのでせうね。
 併し、此處が實際に機能した事つて有つたのでせうか。
 奧に見えるは内川の堤防なのでありますが、此處が改修されましたのは、西暦1990年代前半の樣であります。

 其迄はきつと今程では無い状態だつたのでせうからアレでありますが、今と成つては實際の處つて如何なのでせう。
此方が機能する事つて有るのでせうか。

 まあでも、避溢橋と云ふ珍しい物が見られましたのは良い收穫でありました。

 併し此處、車で通り拔けられると云ひますか、拔けてゐる轍に驚きであります。呵呵

 以上、御附合有難う御坐いました。

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