宇都宮市西原町-陽南一丁目 國鐡日光線跨線橋

2674年 10月 20日 探訪

 舊國道四號、奧州街道、東京街道、日光街道、現國道一一九號、まあ色々と呼稱が御坐いますが、此處は國道四號舊道として措きます。

 其舊四號が國鐡の日光線を跨ぐのが此跨線橋なのでありますが、正式名稱は分りません。

 して、現在の姿が確認出來ますのは昭和卅七年の航空寫眞であります。
其以前、昭和廿三年の寫眞では幅員等も違ふので先代橋だと思はれますので、其間に架替られたのだらうと思はれます。

 まあ、何方側からと云ふのも御坐いませんが、不取敢此方、北側の方から主に見て行きます。
 して、何が特徴的かと云ひますと、此特大ガアドレイルの樣な物、オオトガアドであります。

 某有名廢道系サイト樣の説明に因りますと、所謂混凝土欄干に代はる物として、昭和卅年代に採用される場合が多かつた物との事でありますので、 竣功は其頃と云ふ事で間違ひ無ささうであります。

 段差に成る部分を繋いでゐるのは補強の爲でせうか。
 何れ位の大きさかと思ひ斯うして撮つて見たものの、何か無意味だつた樣な氣がし無いでも無いであります。

 まあ一應參考に書いて措きますが、拙の長靴の大きさはに廿五サンチでありますので、此方のオオトガアド、上下幅は大凡六十サンチ近くと見て良いのでは無いでせうか。

 其と一寸氣に成りますのは、螺旋、左側はプラスの樣でありますが、右側は所謂ガアドレイルボルトなのであります。
之で一寸年代判定に少し迷つたのも事實であります。
 裏側から。

 のつぺりしてゐる分、いざと云ふ時如何なのかとか少し思つて仕舞つたのは内緒であります。

 擁壁が石積なのでありますね。
 結構目地が荒いのでせうか。

 石積と云ふと古いと思つて仕舞のでありますが、戰後間も無くの頃は此處、歩道部分も無い樣でありますし、車線自體も今程廣くは無い樣に見えますので、 此處も後から廣げた部分なのだらうと思ひます。
 一本東側の跨線橋から見ましても、別段普通と云へば普通であります、かな。
 唯、何と云ひますか、斯うして見ますと、混凝土の部分が一寸統一性の無い作りにも見えますので、當時の姿を保つてゐるのかとか色々と判斷に惱む物件でありました。

 大きさを見るには此方の冩眞の方が良かつたでありますね。
 まあきつと、一本東側の線路で出來た彼方の方が確實に古いのだらうなあと云ふ事だけは何と無く思ひました。

 不取敢、普段氣にする事も無く通過してゐる物件を改てじつくりと見る事が出來まして良かつたであります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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