茂木町小井戸 未成國鐵長倉線 多芯圓形架道橋

2673年 4月 9日 探訪

 栃木縣道廿七號線架道橋を見た後、交通量の少い縣道二七號線を築堤を見乍のんびり進んでゐました。
 すると道が分岐してゐましたので何氣無く見ました處、先程依りも素敵な形をした架道橋が現れるぢやありませんか。
でありますので、慌てて引返して來ました。

 いやあ併し、まさか自分の眼で多芯圓形の姿を見られるとは思つてもゐませんでしたので、嬉しさも一入であります。

 佇ひも素敵であります。
 之は垂涎物であります。

 是が築七十年以上經つてゐるとは素晴らしいぢや有りませんか。

 水路と共にと云ふのが亦雰圍氣を盛上げて呉れてゐます。
 其水路の暗渠の形も亦素晴らしいであります。
上下で構造が分れてゐると云ふのも凝つてゐます。

 尤も、今の樣なヒウム管を作る技術が無かつたからなのかも知れませんが、其處が又味はい深いであります。
 此長年の風雪にも耐へた擁壁兼護岸の石積も良い感じであります。
 轉落防止とは餘り思へ無い混凝土柱が良い味はいであります。

 此處で一旦下りて長靴洗はうかな共思つたのでありますが、實は結構深いので諦めました。
 ちやんと傍には國鐵の用地を示す境界標も在りました。
 此方も構造が分る樣な構圖で一枚。

 木枠の跡がとても綺麗でありますし、未だ未だ良い状態を保つてゐると思ひます。

 尤も、設計荷重が載つた試しは一切無いのでありますから、さうで無くては困ると云ふ處ではありますが。
 反對側からも。

 是で砂利道の儘でありましたら、完全に戰前と同じ時間の儘であつたと思はれます。

 と云ひますか、此儘でも十分に當時の空氣が傳はつて來ますので、思はず二中時代の事とか色々と色々思ひ出して仕舞ひ、一寸ほろりとして仕舞ひました。

 何を如何足掻いても"あの時"に戻れる事は無いのでありますがね。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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