眞岡市八木岡 國鐡眞岡線跨線橋

2675年 10月 6日 探訪

 此方の跨線橋は國道二九四號の舊道部分であります。

 多分に昔からの道筋でありますので年代物を期待出來るかなと思ひ遣つて來た譯でありますが、成程、跨線橋の前後に古初代ガアドレイルが有る事等から、 之は其也の年代を期待出來さうであります。

 其では此方、東側から見て行き度いと思ひます。
 跨線橋。

 成程、其物すぱりであります、か。

 まあ、何と云ひますか、若干斜橋に成つてゐるのでせうか、親柱の後端に角度が附てゐる樣に見受られます。
 こせんきよう。

 まあ、さうでありますね、はい。
 高欄は中間に混凝土板を二枚使用した意匠でありまして、如何にも西暦1960年代、昭和卅年代から四十年代的な意匠であります。

 路盤はきつと後年に成つてからアスハルト舖裝が盛られてゐるのでせうが、元々は混凝土其儘だつたらうと推察致します。

 では、西側へ移動致します。
 跨線橋。

 あらま、殘念。
出來れば竣功年度が記されてゐればと思つたのでありますが、兩側で對稱でありましたか。

 と云ふ事は、大凡の竣功年度は想像に難く無い頃でありますかね。
 こせんきよう。

 當然さうでありますよね、はい。
 横から見ますと、スラブ形式、所謂牀版橋と云ふ形式でありますね。

 して、航空冩眞で經緯を紐解いて見たのでありますが、國道二九四號の此邊が現在の舊道の線形に成りましたのは、昭和廿二、三年頃に工事が進められてゐたからの樣であります。
さうして、此方の跨線橋の東側迄は綺麗な線形に成つた樣でありますが、跨線橋自體はずつと變更無しだつた樣であります。

 其が冩眞ではつきりと違ふと分りますのは、昭和四三年でありますので、此方は昭和四二、三年頃に架橋された物件で間違無いと思はれます。

 さう考へますと、各地で此頃、T字桁依りも牀版橋の方が多かつた樣な氣がするのでありますが、矢張工法にも流行り廢りが有るのでせうか。

 併し現地で何と無く舊線形が在りさうな感じの風景だつたのでありますが、如何やら今でも殘つてゐる樣であります。

 まあ、其方は時間の都合が合ふ時にでも再訪して見る積りであります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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