高根澤町花岡 麒麟麥酒栃木工場專用線跡

2673年 3月 5日 探訪

 檢索しますれば何人もの方々が此方の報告を上げて居りますし、且つ詳しく解説されて居りますので、不取敢の現状報告の樣な形のみにして措きます。
何故なら、冩眞が如何しても同じ樣な構圖にしか成ら無いからであります。

 車止の土盛後方からの工場側の眺め。
 車止の信號燈は朽果てゐます。

 其な事は無いのでありますが、何と無く國鐵との境界標が現實を物語つてゐる樣な感じであります。
 分岐點跡。

 しつこい程に境界標が建つてゐるのは何故なのでせう。
 例へば此處。
 踏切跡だつたのかと思へは、さう云ふ譯でも無い樣であります。
 バラストは今でも健在であります。
 舖裝された側道部分、現役當時は如何云ふ使用目的だつたのでせう。
 工事銘板が取り外された橋桁。

 但し數年前迄工事銘板が附いてゐた畫像がネツト上で見られる他、拙が來る半年程前迄は附てゐたと云ふ話も有る爲、若しかすると故意に外されて仕舞つた可能性も有るかも知れません。
螺旋留だつたので、盜まれた可能性が有る樣な氣が個人的には致します。

 まあ、擁壁の方で昭和五四年六月竣功と分るから構は無いのでありますが。
 距離にして五百米程でありますので、直に終點を迎へて仕舞ひます。
 或る意味、一番の見所の樣な氣がする終點部分であります。

 踏切に橋、さうして工場の門。
 側道部分も其儘工場内に續いてゐるのかと思ひきや、何か分斷されてゐる樣にも見受られます。

 何か車止の樣な物も在りますし、若しかしますと專用線の廢止と同時に道も廢止にしたのでせうか。
 麒麟第八花岡踏切。

 烏山線の方は單成る第八花岡踏切と成つて降りました。

 因に、麒麟麥酒栃木工場は皇紀二六三九年(昭和五四年)に操業開始し、二六七○年(平成廿二年)に閉鎖と成りました。
 操業開始間も無い頃、友人と初の工場祭に自轉車で出掛け、出來立ての色々な飮物は全て手荒く美味しかつたのを今でも覺えてゐます。
 併し此專用線、實際に運用してゐる姿は多分、見た事無い樣な氣が致します。
確か直にトラック輸送が主體に切替はつてゐた様な氣が致します。
 さう云ふ時期にでせうか、氏家町の傳馬町なのか河岸なのか、東北本線のガアド下が冠水して乘用車が立往生し、 其後續だつた麒麟麥酒のトラック運轉手さんが乘用車の運轉手さんの救助に向ひ、助け出したと同時に瀧の樣に水が流れ込み、既の處で助かるも哀れトラックは完全に水沒して仕舞ひ、 出荷した製品が水泡に歸して仕舞つたと云ふ樣な事も有りました。
 地元で働いてゐた人達も大勢居ましたが、工場新設に伴ひ引越して來た方々も結構居た筈であります。

 其人達、今は如何して居られるのでせうか。
生活の據點を完全に此方にしてゐた譯でせうから、閉鎖に伴つての去就を心配して仕舞ひます。
 勿論、地元で働いてゐた人達だつて心配であります。
再就職は叶つたのでせうか。
 時代、と云つて仕舞へは其迄でありますが、全てが上手く行く筈でありましのに、少しずつ、何と無く時代と噛合は無い儘に全て終了して仕舞つた、と云ふ感じでせうか。

 工場も專用線も短命に終つて仕舞つたのが物寂しい感じであります。
もう二度と此門が開く事は無いのでせうから。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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