高根澤町寳積寺 烏山線 跨線橋

2673年 6月 17日 探訪

 此方は烏山線が東北本線から分れて直の處に架る跨線橋であります。

 曾ては自動車も通れたのでありますが、現在は歩行者や自轉車のみの状態に成つてゐる樣であります。

 と云ひますか、若しかして手荒く狹く架替られて仕舞つたのでせうか。
曾てはセルシオ位の大きさの自動車もギリギリで通れたと、近所の知人は云つてゐたのでありますが。

 勿論、之では拙が知つてゐる曾ての姿では一切御坐いません。
 いやあ、凄い状態でありますね。

 幅員に注意を促す爲の混凝土柱だつたのでせうが、さう云ふ事關係無しの人が多かつたと云ふ事なのでせう。
之つて折て不安定なので線路への轉落防止の爲に縛つてゐる、と云ふだけでありますよね。
 嗚呼、もう何と云ひますか、實際。

 拙には理解不能なのでありますが、自分の自動車の車幅や道路の幅員等鑑て、通れるか如何かと判斷するのが普通だらうと思つてゐるのでありますが、 如何やら斯う云ふ狹窄路でも平氣で通る人と云ふのは、少しでも近いとか信號が無いとか、さう云ふ事の方が優先の樣でありますね。

 其で公共物も自分の自動車も破壞してゐては全くの無駄だと思ふのでありますが。

 以下省略。
 併し斯う云ふ處、之だけ狹窄に架替する利點が有つたのだらうかと思ひ、一寸横を見て納得致しました。
成程、上物部分だけを更新したのでありますね。

 して、元々は曲げた線路を桁の横から出して柵にしてゐと云ふ事でありますね。

 うん、是ならセルシオ位の自動車も何とか通れたと云ふのも納得であります。
 反對側を見ますと、良くまあ綺麗に切つた物だなあと云ふ感じであります。

 併し之、一本の線路をコ乃字型に曲げて桁の鐵筋と一緒に混凝土で固めたと云ひますか、線路自體も骨材として機能する樣な感じにしてゐるのでせうか。
 横から見ますと何共獨特な桁なのでありますが、中央部分が薄く成つてゐるのは、蒸氣機關車の煙突部分との兼合か何かだつたのでせうか。

 因に竣功年なのでありますが、若しかしますと烏山線開業當時と同一の物、かも知れません。

 先づ、明治時代ま地圖を確認致しますと、此道自體が其當時から在る道筋でありましたし、次の昭和八年の地圖、烏山線開業後の物では、 既に跨線橋が描かれて居ります。
さうして航空冩眞を確認致しますと、昭和廿二年の物にも冩つて居りますから、多分さう云ふ推察で間違ひ無い筈であります。

 其と、今では住宅街の中の道と云ふ事も有るでせうし、且つ交通量も増加して事故の危險性も上つた事から自動車通行不可にしたのだらうと推察致します。
でありますが、元々此道つて周りに家等一軒も建つてゐ無い農道程度の道の樣でありますから、 近年に成つて近代の自動車で通らうとした事自體が間違ひだつたのでは無いのかなと思つた次第であります、

 まあ別に、拔道通れ無く成つてざまあ見やがれ、等とは決して思つて居りませんがね。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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