宇都宮市 大谷観光

2673年 11月 18日 12月 2日 探訪

 國登録有形文化財 舊大谷公會堂。

 大正末期から昭和初期頃に建てられた物件であります。
 柱に施された彫刻等、各部の意匠に目を瞠る物が御坐います。
 但し現實は塵收集所。

 文化依りも生活優先。

 拙は斯う云ふ處が大好きであります。
 至る處に祠が建立されてゐる大谷地區。

 之も大谷石採掘の安全祈願と云ふ事でせう。
 木柱の懐しい街燈。
 大谷橋の袂、大谷石の護岸と大きな銀杏の木。
さうして謎の石碑と云ふか藝術作品と云ふか、さう云つた何か。
多分。
 藏。
 一部の外壁が殘された、多分倉庫か藏の跡。
 之ぞ大谷が誇る全國的有名物件、山本園大谷グランドセンタア。

 單に廢墟共云ふ。
 自然の造型。

 と云つても、下の方は採掘された跡でせうか。

 何と無くでありますが、米國はラツシユモア山の大統領像を思ひ浮かべて仕舞ひました。
 大谷溪谷と呼び度い位であります。
 採掘された跡、でせうかね。
 と云ふ事は、此邊は露天掘された跡地と云ふ事なのでせうか。

 まあ、陷沒以下省略。
 大谷の奇岩群 越路岩とな。

 此奇岩群の石塔が立つてゐるのは姿川の遊歩道沿でありまして、車では先づ氣附か無い位置だと思ひます。

 大谷に來られる時には、是非共自轉車で彼方此方巡つて欲しいと思ひます。
 此堀方と岩の殘し方が何共、實際。
 囘收される事の無い人工物、でせうなあ。

 岩肌に殘されたカツタアの刄の跡が象徴的、であります。
 越路橋擴張記念。

 昭和廿四年に建立された石碑であります。

 但し現在は平成の世に架替られた物件に代はつて居ります。
 此方の奇岩の一つかな。
矢張祠が祀られて居ります。

 と云ひますか、何處から共無く聲が聞こえて來たのは、岩の上にをぢさんが居たからだつたのを、歸宅してパソコンで見て始めて氣附ました。
 結構古めな徐行の標識。

 は良いのでありますが、塗潰されてゐるであらう元の表記が「危ない」では無く「危い」と云ふ邊、實は可也古めの標識を再利用してゐるのでせうか。
其もきつと赤白の塗分だつたのでせうし。
 何でも無い樣な處で突然現れた東武鐡道の管理地。

 多分、地圖で確認致しますに、此邊に十九世紀末から廿世紀初頭頃に掛て石材運搬線が通つてゐた事から、其名殘の土地なのでせうかね。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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