高根澤町寶積寺 鬼怒川ノ取水堰跡

2673年 2月 26日 探訪

 國道四號の鬼怒川橋を渡つてゐますと、超有名物件廢墟ブルースカイの眞下邊りの川面に、此方の物件の姿が伺へます。
但し農閑期と云ひますか渇水期ぢや無いと中々顏を出して呉れ無いので、探索時期は限られて仕舞ふかも知れません。

 併しまあ、何か位置的にも不自然な樣な氣がし無いでも無いのでありますが、是で良かつたのでせうか。
 併しまあ、可也の大きさのヒウム管であります。

 其に何と云ひますか、一直線に構造物が在り、而も川の中の部材で全て繋がつてゐる樣にも見えるのであります。
 此の眞平らな混凝土の樣な板も氣に成ります。

 何の殘骸なのでせう、若しかして此方がヒウム管や兩脇の構造物の上に元々載つてゐたのでせうか。
 河川敷へ降りて來ました。

 草に覆はれてゐまして、ヒウム管の部分自體の中は確認出來ません。

右横の構造物の表面と云ふか、川に面した部分は石積で作られてゐるのが確認出來ますが、横は混凝土で固められてゐる儘であります。

 して、更に右の物へ向つて上部は斜めに成つてゐる、のでせうか。
 別な角度から。

 石積は化粧つて事でせうか。

 本當は潛つて近附ば分るのかも知れませんが、其處迄の裝備も無いでありますし、多分其で見ても分ら無いかなあと思つて仕舞ひます。

 と云ひつつ、遣つて見たい氣がし無いでも無いでありますが。
 此方に在る物も、ねえ。

 大きな板の周圍にも色々と其殘骸らしき物が散見されますので、其も觀察して見たいであります。

 して、若しかして陸羽街道の橋の殘骸かな共思つたのでありますが、でありましたら此處だけに殘つてゐるのも不自然でありますので、其可能性は無いと思ふのであります。
 岸には何か四角い物が積まれてゐる樣に見えるのであります。

 實際、と或る關係の方に訊いて見ました處、古い取水堰の跡らしいと云ふ事でありましたので其は間違ひ無かつたのでありますが、 其が一體何時頃の物件なのかは不明な儘であります。

 唯、航空冩眞で確認致しますと、ブルースカイが出來る以前には、橋の左岸袂は未だ高臺の儘でありまして、其處に何か建物が建つてゐたのは確認出來ますので、 其處が揚水場だつた可能性が無きにしも非ず、と云ふ處なのでせうか。

 其と、未確認でありますが、此近邊なのか明治十七年に開削された鷺ノ谷用水と云ふ物件が在るさうでありますので、若しかしますと其關係の何かだつたと云ふ事なのでせうか。

 まあ、氣が向けばも少し詳しく調べて見ようと思ひます。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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