福島縣河東町-豬苗代町 十六橋水門ト、フアン・ドオルン氏ノ銅像等

2677年 5月 2日 探訪

 と云ふ事で、此方河東町に在る十六橋水門へと遣つて來ました。

 まあ、詳しい説明は檢索しますれば色々と出て來ると思ひますので拙は省きますが、大正三年竣功の水門ださうであります。

 して、先づ最初にフアン・ドオルン氏の銅像に挨拶であります。

 斯う云ふ物迄物資供出、否、だからこそだつたのかも知れませんが、地元の方々は地中に埋て良くぞ守つたと云ふべきであります。

 さう云ふ色々な事から色々と色々政府との關係が未だにアレなのでは無いかなとか思ふのでありますが、そろそろ時間以外の解決方法が欲しい樣な氣が致します。
 錚々たる姿であります。
 水位計、でせうか。

 當時の繪葉書の冩眞では擴大して見ても確認出來無い樣な感じでありますので、若かしますとも少し後に成つてから設置された物でせうか。
 橋臺手前の石工、結構後年、何方かと云ふと昭和に入つてからの施工の樣に思ふのであります。
 ほら、水門附近とは石の積方が違ふのでありますよね。

 近くの建物、屋根は葺替てゐる樣でありますが、多分當時からの物でせうか。
 右岸側の情景。
 左岸側の情景。
 何故か印象に殘つた櫻。

 色々と石碑も建立されてゐたのでありますが、親友を自動車に待たせた儘でありましたので、大急ぎで見て廻つたのできちんと覺えてゐ無いのであります。
 安積疏水戸ノ口水門監守所の建物と、多分當時物の街燈。
 西洋風のとつてもモダアンでハイカラな建物でありますし、手荒く手入が行屆いてゐる感じであります。
 其建物の前の門に附てゐる銘板であります。

 安積疏水戸ノ口水門監守所。

 ん、多分之も後年に成つてからの物では無いでありますかね。

 斯うして大雜把に安積疏水關連の施設を見て來ましたが、當時短期間で豬苗代湖から郡山迄全て人力で開削したと云ふのには驚きました。

 途中、矢張歴史的水路橋の保存も叶はず、取壞しと成つて仕舞つたのは殘念でありますが、さう云ふ事、安積の大地への入植にしましてもアレでありましたので、 さう云ふ處で未だに政府に對して引掛る部分が自然と出來てゐる樣にも感じました。

 でありますから、手荒く素晴しいと思ひつつも、一寸色々考へさせられると云ふ感じでもありました。

 して、急いで案内して呉れた親友には感謝の言葉も御坐いません。
まさか此半年後に急逝して仕舞とは露も思ひませんでしたので、今囘は半ば親友の囘顧的意味合ひの記録でもありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

 其他、
  【福島縣郡山市 麓山ノ瀧ト電動揚水機等】
  【河東町八田-豬苗代町翁澤 十六橋】
 であります。

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