2676年 1月 12日

 氏家町向河原、堤防沿の道の分岐點の部分、何が山の樣に在るのかと思ひきや、何と混凝土構造物でありました。

 多分、草川用水の舊取水口の遺構かと思はれます。
 同、分水工と云ふか水門跡。
 勿論上部には可動部分が撤去された跡も御坐います。
 裏側を見ると、何處と無く當時の面影が偲ばれます。
 氏家町富野岡、大谷石造の舊消防團小屋。
 同、草川用水の水門。
 但し全六門中右岸側の二門は廢状態であります。

 木の板で出來てゐる等、一體何時頃の物なのでせう。
 同、草川用水に迫出した謎の舞臺。
 何でせう、元々擦違ひの待避所だつたのでせうか。
 左岸側から見ると、斯樣な構造であります。
 氏家町草川、矢張何の爲に設けられたのか不明な舞臺。
 同、此方も。

 川面に降りられさうでゐてさうで無いと云ふのは何故なのか。
 同、草川用水の御案内。
 氏家町氏家、左岸側が階段に成つてゐる人道橋。
 其階段の傍、木に飮込れさうなガアドレイルの支柱。
 同、水路。
 同、良い雰圍氣の木製電柱と人道橋。
 同、某一瞬だけ大流行した糞ゲーアレのアイテム入手場所にも成つた石碑群。

 右から、昭和八年建立の十九夜塔、明治十年建立の何か(判讀困難)、明治十年建立の庚申塔、寛政九年建立の二十三夜塔、大正三年建立の勝善神、 但し土臺の十九夜は明治四十二年、其左の勝善神、其又左の馬頭尊は判讀不能でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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