2674年 9月 30日

 遠目に一瞬ダイハツタフトかと思ひましたが、近附て見るとジムニーのLJ20でありました。
 360cc時代のジムニーは珍しいでありますかね。
 鹽谷町上平の縣道六三號線舊道添ひに在つた道標。

 調べて見ますと、元々の分岐の位置とは違ひますから、現在の線形に成つた時、此處に移設されたのだと思ひます。
 明治廿九年の物が現存してゐるのでありますものね。

 今のコンピウタアとかつて同じ位殘るのでせうか。
FDDやMOは消えましたが。
 眞正面から。

 此實に素敵な佇ひ、素晴しいであります。

 矢張長く何かを殘すなら石に文字を刻むのが一番でありますね。
 すつかり色褪した標識。

 飛出注意、今や子供では無く熊とか豬の樣な氣がし無いでも無いであります。
 U字溝以前の立派な水路。
 風見發電所への導水路の傍に建つてゐる、謎の混凝土構造物。

 何だつたのか、全く想像附ませんでした。
 今市市大渡、國道四六一號線沿に殘る三菱石油。
 今市市栗原の板穴川に架る東武鐡道鬼怒川線の砥川橋梁。

 昭和廿一年竣功のプラツトトラス橋であります。

 と云ひますか、此邊は會津西街道とか色々と色々でありまして、きちんと調べるには中々に大變な樣でありますので、暫く保留と云ふ事に致します。
 中岩橋右岸側の袂に在る石碑。
御手植之松ださうであります。

 左側、上流五十五米迄は讀めるのでありますが、最後の一字が讀めませんでした。
 して、其裏側でありますが、昭和三年十一月云々、下野電氣鐡道云々と有りまして、多分最初に鐡道(現東武鐡道の前身)が開通した記念植樹か何かのアレなのでせうね。

 正直、別段さう云ふ歴史云々に拙は然程興味御坐いません。
何度も書きますが、護り度かつたあの時の日本の風景と、戻つて來る迄の風景を見たいだけでありますから。
 此方は左岸側の袂に在る石碑であります。

 道路開通記念碑なのでありますが、昭和廿二年竣工との事でありますので、會津西街道とは別なのかなと、何の道路を指しての物なのか不明でありました。
 某所。
コテエジ型の廢墟。

 多分、モオテルでありますかな。
 鹽谷町蘆場新田、東武鐡道矢板線跡に在る蘆場新田驛跡。

 プラツトホオムが其儘殘つてゐるのが素敵であります。
 此方は五月廿日の御負であります。

 鹽原町宇都野で見附た、橋と云ふか暗渠と云ふか、さう云ふ類の物件であります。

 以前は結構斯う云ふの見掛た氣が致しますが、何時の間にか軒竝規格橋に代はつて仕舞つたのでせうか。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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