2673年 9月 24日 御負ケ

 此方上河内村中里地區、國道二九三號の一本北側を通る道の傍に在る石碑であります。

 昭和五年に開發された西山林道の記念碑でして、記念碑の建立自體は昭和十六年でありました。

 併し此道、上下が手荒く多くて難儀でありました。
逆に一本南側でありましたら平坦だつたのでありますが、氣附ても後の祭りでありました。
 此方は同高松地區、國道二九三號の傍に在ります各農業土木事業の竣功記念碑であります。

 昭和七年十二月二十七日云々と書いて有るのでありますが、苔生してゐ度りと判讀が難しい状態でありました。

 割れ度りしてゐる樣子でありますが、ちやんと補修されて居りました。
 田川の方から見た宇都宮市下横倉町に在る御嶽山神社。
是だけの景勝地乍、多分隱れた名所だらうと思はれます。

 左側の岩肌の上に祠が在るのが御分り戴けるだらうか。
 此處に祀るのは手荒く度胸が要ると思ふのでありますが。
 して、此祠迄參拜に行けるかと問はれ度ら、拙には無理であります。
 宇都宮市徳次郎町、廢ガソリンスタンドの防火壁に殘る共同石油の意匠。
 同地區、金田内用水路附換記念碑。

 まあ用水路を斯々然々で改修したと云ふのを記念して昭和十年二月二十三日に建立したと云ふ事でありますね。
 宇都宮市新里町、國道二九三號の舊道に當る處に在る栃木縣の道路標識柱。

 思ひますに、近くに小學校が在る事から、學童注意の標識だつたのでは無いでせうか。

 して、多分に縣道時代の名殘と思はれます。
 歸路途中の宇都宮市上横倉町、國道二九三號の東北道近邊でも、多分石の採掘されてゐたであらう場所が殘つて居りました。

 此邊でも同樣に大谷石が採掘されてゐたのでせうか。
 因に、上河内村今里地區の上河内サアビスエリヤ近邊にも斯樣に大谷石と同樣の地層が見られます。

 さう云ふ事で、結構廣範圍で採掘されてゐたのかも知れません。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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