2673年 5月 28日 御負ケ

 區畫整理記念碑。

 多分に新舊字體混りで書かれてゐるかと思はれます。
 昭和廿八年十二月から四箇月間で、區畫整備をしたと云ふ事の樣であります。

 併し新舊字體入混つた表記が時代を感じさせて呉れます。

 と云ひますか、時々拙は思ふのでありますが、新字體、現代假名遣ひの必要性つて實の處以下省略。
 此方は明治四十年の耕地整理、新田開墾記念碑。
多分。
 天神橋の近くで見附た、如何にも古さうな道標。
 然し文字はすつかり風化して讀め無いのであります。

 と云ふか之、まさか大谷石では無いでありますよね。
 同じく天神橋界隈、御馴染の馬頭尊等々。

 建立年度が分つたのは、中央の物で大正十四年四月十五日であります。
其と、左側の「村内安全」も面白いであります。
 上太田分團所有地との事。

 昭和十五年一月に建立と云ふ事は、
紀元二千六百年、さう、紀元節と云ふ事でありますね。
 堰附帶橋の袂に在つた看板。

 要は工業團地と田園地帶の境界と云ふ事でありますね。
 但し餘暇利用施設は半ば廢状態。
 左、五行川。

 右、井沼川。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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