2673年 4月 16日 御負ケ

 もつと殘つてゐるのかと思ひましたが五本だけでありました。

多分昔の枕木を再利用した木柱の柵の跡であります。
 車止と云ふのか縁石と云ふのか、頑丈さうな混凝土構造物。
ずうつと續いてゐました。

 境界標との位置關係から察しますに、此は如何やら國鐡以外、多分縣とか町の所有物の樣であります。
 此儘行くと國道四號へ。
勿論古くから在る道であります。

 併しガアドレイルが何と云ふ状態なのでせう。
如何云ふ運轉をすれば斯う成るのかと知り度い樣な知り度く無い樣な、複雜な氣分であります。

 皆さん、運轉大丈夫なのでせうか。
其内カアブミラアが餌食に成りさうであります。
 して、其カアブミラアの先が現國道四〇八號に續く、多分本來の道筋であります。

 復の機會にでも行つて見ます。
 此方右へ向ふ現縣道三四一號線に當る元々の道筋。
其袂に在る前囘氣附無かつた安全地帶。
 此方は斜に合流するだけに長めに作られて居ります。

 反射鏡、左は黄色で右は白、でせうか。
其共右は色褪て白く成つたのでせうか。

 嗚呼、でも道路脇の反射鏡の場合、一昔前は左が黄色で右は白だつたので、さう云ふ意味で、でせうか。
 如何やら此方は國鐵の所有物の樣でありますね。
多分。
 二つ共、御勤御苦勞樣であります。
 高根澤町平田地區、現在の栃木縣道三四一號線の一寸北側に在つた石碑。
下野國新四國八十八箇所とか弘法大師云々とか。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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