2679年 2月 4日 探訪
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此方は【小川町小川-恩田 名稱不明橋】
依り一キロ三百米程權津川を上つた處に架る橋であります。 まあ御覽の樣に至つて簡素な、最低限渡河出來れば良いと云ふ感じの姿の橋でありますが、竣功年等も含め、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方左岸側から簡單に見て行き度いと思ひます。 |
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當然の樣に何處にも銘板、橋歴板等御坐いませんし、地覆のみで高欄も御坐いません。 が、多分此方が上記の橋の原型の儘の姿なのでは無いでせうか。 |
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横から見ました處、矢張パイル形式の橋脚を持つ二徑間の牀版橋でありました。 して、航空冩眞から大凡の竣功年度を判斷致しますに、矢張昭和卅八年以降四四年迄の間の樣でありますので、間違無く上記の名稱不明橋と同時期でせうし、其原型だらうと思はれます。 併し、横に森林の湯と云ふ看板が落ちて居りますが、今から二昔以上前に此處藥利地區で温泉が出まして、多分其方の案内看板だと思ふのでありますが、今でも御湯は湧いてゐるのでせうか。 拙も友人と入りに來た事が御坐いましたので、何か懐しく成りました。 て、橋とは關係無い話に成つて仕舞ましたが、斯う云ふ何事自己責任と云ふのは嫌ひでは御坐いません。 さう、古き良き時代の象徴と云ふ感じでありますね。 以上、御附合有難う御坐いました。 |