宇都宮市簗瀬町-川田町 名稱不明橋

2674年 3月 3日 探訪

 まさか斯う云ふ處、と云ふ處で偶然發見致しました。

丁度此方の寫眞、東北新幹線の下邊で撮つたのでありますが、此一帶全て東北新幹線開通に伴ふ區畫整理後の道路だと思つてゐたものでありますから、 一寸と云ふか、手荒く意外でありました。

 だつて、所謂今時の連込宿街でありますもの。

 まあ、案外其だけの道では無いと云ふ處も殘つてゐるのでありますね。

 では、右岸側から見て行きます。

 嗚呼、横から見ますに、桁は單純桁でありますね、多分。
 別段何と云ふ程でも無いでありますが、不取敢斜橋である點と、逆傾斜の親柱の意匠から、昭和四十年代前半頃の物件は確定でせうね。

 と思ひ航空寫眞を當つてゐましたら、矢張如何やら昭和四三年から四九年の間に架られた橋の樣であります。
 と云ふか、良く見ましたら親柱無いのでありますね。

 其にしましても、高欄だけを見れば昭和卅年代の樣に見えますが、頭でつかちの柱が昭和四十年代前半風味と云ふか西暦1960年代後半風味を感じさせると云ひますか何と云ひますか、 まあ年代的に納得出來る要素は有るのだな、と云ふ感じであります。

 と云ひますか、若かして規格橋なのでせうか。
 石積の護岸は架橋以前の物、と云ふ譯でも無いのでせうか。
如何にも目地が混凝土で固められてゐ無い樣に見受られましたので。

 でも橋臺邊から綺麗に積始まつてゐる感じでありますね。

 何か橋臺の向の角度が河川に對して直角で、桁の向とはちぐはぐな感じが何共素敵であります。

 では左岸側へ移動致します。
 但し新幹線の邊からは混凝土護岸に成つて居りますから、此橋の近邊だけが原型を保つてゐると云ひますか、昭和四十年代前半の風景を保つてゐるのでせうね。
 此方向から見た方が落着いて見られますかね。呵呵

 きつと路盤は元々は混凝土其儘だつた筈でせう。

 併し、昭和四十年代に入つて造られた道でありますのに、其後又升目状に開發が進むと云ふのも時代の變化なのでありますかね。

 以上、御附合有難う御坐いました。

戻る