宇都宮市今泉町 無名橋四本

2674年 1月 28日 探訪

 宇都宮市陽北中學校の裏手、田川に向ふ時何氣無く通りましたら、一寸面白さうだなと思ふ物件を偶然發見致しました。

 良く見ますと、手前側と奧側では路盤の樣子が違ひます。
先づ間違ひ無く手前側が後年に成つてから増設された部分だと思ひますが、隨分と作りが違ふ物だなあと云ふ感じであります。

 と云ひますか元々の部分、之だけでは車兩感覺がきちんとしてゐる人が運轉する輕自動車以外、ほぼ確實に通行不可能だつたのでは無いでせうか。
手荒く狹過ぎますもの。
 先づ増設された此方側でありますが、一見して實は結構古いのかと思ひきや、此姿を確認出來ましたのは昭和六一年であります。
其以前の昭和五七年の寫眞では確認出來ませんので、其間に出來たのは當然、でありますね。

 其にしましては古風に纏めたと云ひますか、鐵管の太さが逆に新しいと云ひますか、其な意匠だと思ひます。
 對しまして元から在つた側でありますが、先づ、此方はちやんとした橋臺に桁が乘つてゐると云ふ感じであります。
其に高欄の柱の華奢さと云ひますか可憐さと云ひますか、然程の交通量を想定はしてゐ無い感じであります。

 其割には手前側の混凝土が手荒く碎けてゐるのが怖いでありますが。

 因に年代の推定でありますが、此幅員の道路に成つてゐるのも含て、昭和四三年頃であります。
其以前、昭和四一年迄には未だ畦道と云ふ感じでありますので、其二年間の間に整備されたと云ふ事でありますね。
 此所も五七年以降六一年迄の物件であります。
桁が廻込でゐると云ふのも中々乙な物かと思ひます。
 と云ひますか、舖裝の補修痕から察しますに、結構路肩だつた部分は元々脆いのかも知れません。
 此な鹽梅であります。
 忘れ去られた橋。
 何だ彼だとアレなのが増えたので、出入口は減す方向に成つたからなのでせうか。

 其共單に、施設の増築や移轉の關係で不要に成つたから、なのでせうか。
 して、交叉點附近も斯うして塞れて居ります。
が、電柱を張つてゐる鐡索、邪魔だとか文句云はれてさうな氣がするのでありますが、大丈夫なのでせうか。

 きつと其内電柱も移動して、全面的に暗渠に成つて仕舞ひさうな豫感が致します。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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