2677年 10月 10日 探訪
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此方は
【鹿沼市栃窪-宇都宮市福岡町 日吉内橋】
依り七百米程赤川を上つた處に架る橋であります。 ぱつと見には古風な高欄を有した、如何にも古物件と云ふか戰前物件と云ふ風合でありますが、親柱は無く、高欄其物に白い御影石なのか燒物で出來た物なのか、 さう云ふ銘板が附てゐる事から、まあ多分戰前物件では無く、昭和廿年代以降の物件だらうとは思ひますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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ふくおかなかはし。 うむ、左岸下流側に假名で橋名の讀みが書いて有ると云ふ事は、管理者は上流側と云ふ事でありますね。 中々な達筆具合の字體が手荒く素敵であります。 |
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赤川。 明朝體と筆記體の中間と云ひますか、如何にも定型的な字體でありますが、何處と無く古風な字體であります。 多分、發注者の首長が書いた物では無い感じでありますね。 |
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高欄は混凝土一體の物に所々柱を配した樣にし、其中に菱形の明窓、で良いのかな、を配してゐる意匠であります。 之が中々に戰前物件かなと思はせる樣な素敵な意匠でありまして、思はず見惚て仕舞ました。 では右岸側へ移動致します。 |
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あらまあ何と殘念な、意圖的なのか偶發的なのかは分りませんが、銘板が消失して居ります。 辛うじて竣工の「工」の下線だけが見えると云ふ處でせうか。 さう、竣功年度が書かれてゐた筈でありますので、栃木縣橋梁點檢結果で調べて見ました處、此方昭和卅三年竣功でありました。 |
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福岡中橋。 福岡は字名でせうから分りますが、中と云ふのは地區内の「上」「中」「下」の「中」でせうか。 でせうね、多分。 |
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横から見ました處、うむ、之はT字桁で間違無いでせうね。 丁度測量會社の方が仕事中でありまして、御邪魔の挨拶共に輕く御話しし度のでありますが、何處の自治體も豫算が嚴しく、 補修に次ぐ補修で現在在る橋を維持してゐる状態が多いさうであります。 多分此方もさう云ふ状態でせうから暫は此儘で殘つて行くのでせうが、其が良い事なのか如何なのかは難しい問題なのだなと思ひました。 古い橋、傍から見てゐて好きと云ふだけでありますからね。 以上、御附合有難う御坐いました。 |