氏家町狹間田 農用道橋

2673年 3月 5日 探訪

 誰も餘り見向きもし無い農用道橋。
でも此處迄見て來た通り、橋脚の造りが全て違かつたりと、其々に個性的な一面も在るのが素敵であります。

 此方、尖頭型の橋脚と云ふ事で、若しかしますと戰前物件なのかなとふと思ひまして、じつくりと觀察致しました。

 奥の現代的な規格橋とは全然趣が違ひますものねえ。

 では、先づは右岸側から見て行きます。
 橋の左側に素敵な排水溝らしき物も發見しました。
隣の丸い土管と違ひ、何共素敵であります。

 手振一寸酷いでありますが、拙は何枚も撮る方では無いので濟みませんが其の儘使つて仕舞ひます。

 以下、如何か御容赦願ひます。
 此方の四角い穴も中々に素敵であります。

 奧に丸い土管が入つてゐると云ふ事は、其々別々に作られたと云ふ事なのか、後年に成つてから改良されたのか、其と何處に繋がつてゐるのか、興味は盡きません。
 橋の兩側は舖裝されてゐますが、渡つた先に道は無いのであります。
 橋脚でありますが、此方上流側。
 此方下流側では尖り方が違ふ樣な感じであります。

 之は造型の時點での違ひなのか、其共水の當り具合で削れての事なのでせうか。

 では左岸側へ移ります。
 氣に成つた此方の排水施設、如何やら廢物件の用でありました。
 田圃とは、最早深い溝で隔てられてゐます。
 此處から幅一杯に薄く流れ落ちる水、嘸や風流だつた事でせう。
きつと涼を感じさせたのでは無いかと思ひます。

 因に橋の竣功年でありますが、航空寫眞で見ますに、昭和廿二年の寫眞では今と同樣であらう姿が確認出來ますので、戰前物件で多分間違ひ無いのでは無いかなあと思ひます。

 して、昭和末期か平成初年頃迄は現役物件だつたと云ふ事は分りました。
圃場整備と云ふのでありますかね、其で一番上の寫眞で冩つてゐる奧の橋が現在の線形の橋で、此方は舊道に成る樣であります。

 併し、斯う云ふ物件つて完成年度も分らぬ儘消へ去つて行く物が多いと思ふと、一寸殘念な氣が致しますので、斯うして少しでも記録として殘せれば良いでありますかね。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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