氏家町箱森新田 農用道橋

2673年 3月 5日 探訪

 今囘は大橋依り下流の市ノ堀用水の橋巡りを致しました。

 途中長久保地區にも斯樣な二徑間の古風な橋が在るのでありますが、近隣に新興住宅地が出來ての安全對策の爲に親柱、 高欄が後から附足されたのであらう外観に個人的には興味半減でありますので、此處は此寫眞一枚だけであります。

 まあ、昭和廿三年以降卅八年迄の間に道路建設と共に架橋された物件の樣であります。

 此川幅に橋脚附と云ふのが可愛らしくて素敵であります。

 因に、親柱には全て銘板が附て居りませんでした。
 と云ふ事で、此處からが本題であります。

 國道四號の市ノ堀用水の橋(名稱不明)依り下る事約六百米程、箱森新田地區に架る橋であります。
橋の前後に道が無く、本當に單に兩岸を繋いだだけと云ふのが特徴でせうか。

 其と、橋脚の在る、何共簡易的に作られた樣な感じ、且つ鐡桁と云ふのも特徴でせうか。
 すつかり土が堆積して居ります。

 一應轍は在つた樣な感じでありますが、餘り自動車は通つてゐ無いのでは無いかなと云ふ感じであります。
 單に混凝土の板一枚と云ふ感じの橋脚であります。
之に桁つてきちんと固定はされてゐるのでせうか。

 其と、橋臺が護岸の石積み依りも流れの方に出てゐるのも面白いであります。
 如何やら護岸の石積は其儘に、其上に附足す樣に橋臺を作つた樣であります。
でありますので、段々の斯樣に滲蝕されて段差が出來て來てゐる樣であります。
 して、航空寫眞で大凡の竣功年度を調べて見たのでありますが、昭和廿三年以降卅八年迄の間に、と云ふ事の樣であります。

 以前は國道四號か佐久山街道の橋でしか市ノ堀を渡る事が出來ず、其丁度中間地點の此方に橋を設けた樣でありますが、其後の區畫整理と云ふのか圃場整備と云ふのかで道と共に上下に橋が出來、 今では利用頻度も少く成つてゐる、と云ふのが實状なのでは無いでせうか。

 護岸は其儘に作られた橋と云ふ點や、街道其々の丁度中間點に造ると云ふ點で、其當時としては喜ばれた存在の物件だつたのでは無いでせうか。

 歴史を學ぶと云ふ點で、出來れば此儘殘つてゐて欲しい物件であります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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