氏家町向河原-押上 名稱不明橋

2676年 1月 12日 探訪

 此方は、元からの草川用水では最上流部に架る橋であります。

 昭和四十年代初頭に現在の姿(市ノ堀用水共接續)に改修されて居りまして、此處から上にも六、七本程度の橋が架つてゐるのでありますが、 まあ別段取上る程でも無い樣な、でも一應一纏にして取上てゐても良い樣なと云ふ微妙な感じでありますので、今囘は其儘にして措きませう。

 と云ふ事で本物件てありますが、見ての通り人道橋であります。
勿論、見た通り親柱も銘板も無い、無名橋と呼んでも問題無いであらう物件かと思ひますが、念の爲に名稱不明として措きました。

 扨、何故に高欄が斯樣に曲つてゐるのか手荒く心配なのでありますが、其も措いとゐて不取敢此方、右岸側から見て行きませう。
 尖頭型の橋脚を持つ、三徑間の混凝土橋であります。
で以て、此は間違無く牀版橋でありますね。

 唯面白いのは、桁が載つてゐる依り上の方に迄尖頭型の橋脚が續いてゐると云ふ事であります。

 之は何でせう、元々木橋だつた物を混凝土の牀版橋に架替たのか、其共、脱落防止の爲の措置なのでせうか。
 併し綺麗な尖頭型の橋脚であります。
もう土臺から何から、全ての造形が藝術的と云ひますか、本當に惚れ惚れとする姿であります。

 して、川牀も混凝土で出來てゐるのでありますが、何か、其と一體に成つてゐる樣にも見受られますので、斯樣に改修された當時からの橋、若くは橋脚、と云ふ事でせうか。

 其と、高欄が其々の桁で分割されてゐるのも良い感じであります。
現代の過保護さから見れば危險極り無い事此上無しと云ふ感じでせうが。
 ちやんと均等に桁が載つてゐるのも見事であります。

 と云ひますか、本當に格好良いでありますね、尖頭型の橋脚。
 橋の中央部から上流側を望みます。

 元々は此川幅の儘眞直ぐ進み、鬼怒川から取水して居りました。

 して、現在は斯樣な用水路で市ノ堀用水共接續して居りまして、其分水工から取水してゐるのでありますが、此程川幅が違ふ儘で良いのかと思は無くも無いのでありますが、 まあ良いのでせう。
 左岸側で橋臺を見ます。

 まあ不取敢桁が載るだけの大きさ、と云ふ感じでありますね。

 思ひの外、川面の方に迫出してゐ無いので、案外後年に成つてからの物と見るべきなのでせうか。

 とは云へ、木の主桁を載せてゐたと考へますれば、妥當な位置なのかも知れません。
 扨、で以て氣に成る竣功年代でありますが、昭和廿二年の航空冩眞でも現在の位置に橋が在るのが確認出來ました。

 唯、昭和卅八年の航空冩眞と比較しますと、何と無く幅員が違ふ樣な氣がし無いでも無いと云ふ感じなのでありますが、 構造的に考へますと戰前物件と云つた見方の方が濃厚かなと云ふ感じであります。
冩眞を撮つた高度の關係で細く見えてゐるだけかも知れませんし。

 でもまあ、遲く共昭和卅八年迄に竣功してゐるのは間違無い物件であります。

 唯、戰前物件でありましたら素晴しいなと思ひますが、多分斯樣に草川用水が改修された頃合で作り直されたと見た方が確實さうでありますね。
其な物件でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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