氏家町松山新田 名称不明橋

2673年 3月 5日 探訪

 ええと、栃木縣道四八號線と國道二九三號其々の市ノ堀用水に架る橋の丁度中間地點と云ふべき處に架る橋であります。
若しかしますと農用道橋なのかも知れませんが、何共云へませんので、不取敢名稱不明橋として措きました。

 此だけ斜め架橋でありますので、最初は昭和卅年代以降の物件かなと思つたのでありますが、だつたら此程度の川幅でありましたら一徑間にしてゐるであらうと思ひますし、 何依りも橋臺や橋脚に載る部分の桁の形が戰前物件に良く有る特徴と似てゐますので、實は案外古物件なのかも知れません。

 では右岸側から見て行きます。
  ぱつと見には至つて平凡な、と思ふのは普通の人であつて、上記の特徴の他、橋臺周圍の護岸の具合等中々に樂しめる物件だと思ひます。
 橋脚、尖頭型には成つて居りませんが、全體としましてはさう云ふ年代と似た樣な特徴をしてゐると思ひます。

 其と、橋臺周邊だけ護岸と云ふか擁壁が備はつてゐるのも"らしい"感じが致します。
 斯うして左岸側から見ますと、流れに大しても何か少し歪な樣な感じが致します。
如何にも此處だけ改修されず其儘だから、と云ふ樣な感じでして。

 して、では竣功年は何時頃だらうと思ひ航空寫眞を頼りに見てみようと思つたのでありますが、ううん、之が昭和廿二年頃から變る事無く此儘、の樣な感じにしか見え無いのであります。

 と云ふ事は、各々の特徴から、ほぼ間違ひ無く戰前物件と見ても良いのかなあと云ふ感じであります。

 まあ、何も分ら無い儘と云ふのも偶には良い物であります。呵呵

 以上、御附合有難う御坐いました。

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