氏家町松島 松島橋

2675年 10月 20日 探訪

 氏家町の市街地から大田原市佐久山方面に栃木縣道四八號線を自動車で走つて居りますと、荒川を渡河する爲に新松島橋を渡るのでありますが、 其横に手荒く立派な人道橋が架つて居ります。

 でありますが、當然の如く此方が舊線形部分の橋、松島橋でありまして、平成の世に入る迄の交通を擔つて居りました。

 と云ふ事で、今囘は此方、舊橋を先づは右岸側から見て行かうと思ひます。
 斯う成つて仕舞ますと、車道橋だつた面影は餘無い物でありますね。
之でも往時は中央線が引かれてゐたのでありますが。

 して、現在は歩道として使用されて居りますので、柵に因り自動車の進入は止られて居ります。
 新松島橋。

 色々思ふ處御坐いますが、まあ、此だけの石を設置するのは大變だつたのでは無いでせうか。

 と云ふ事では無くて、元の親柱の痕跡は御坐いませんでした。
 松島橋。

 之は實に凝つた意匠の親柱であります。

 まあ親柱内側に工事銘板が附て居りますので大凡の年代はアレでありますが、銘板が御影石だつたりと、縣道にして措くのは勿體無い程力の入つた意匠では無いでせうか。
 昭和四一年三月竣功でありますね。

 此處迄の冩眞の通り、高欄は更新されて居りましてアレでありますので冩眞は撮つて居りませんが、今迄の高欄が如何云ふ感じだつたかは大凡御察し下さいと云ふ處であります。
 排水桝も年代通りと云ふ感じであります。

 では、左岸側へ移動致します。
 荒川。

 草冠が舊字體でありますのが時代を感じさせて呉れます。

 多分發注側の首長の筆に因る物なのは確實でせうが、舊い人間が書いたのは間違無いでありますね。

 と、昭和四一年でありましたら當然の事でせうが。
 まあ當然の如く此方側にも痕跡は御坐いません。
 横から見ますとI字、とは云へ基本的にT字桁なのでせうが、さう云ふ三徑間の混凝土橋であります。

 して、之だけの徑間でありますから、RCでは無くPC桁でせうか。

 まあ、新橋が出來た後でも撤去される事無く人道橋として利用されると云ふのは良い事では無いでせうか。

 以上、御附合有難う御坐いました。

戻る