高根澤町太田 名稱不明橋【二】

2673年 4月 16日 探訪

 栃木縣道三四一號線の前身に當る道からの歸路、偶々横を向ましたら此方の橋を發見致しました。
見るからに昭和卅年代前半頃の物件だなとピンと來ましたので、勿論しつかりと撮影して來たと云ふ譯であります。

 航空寫眞を見ますと現在の栃木縣道三四一號線の礎に成つた、と云ふ譯でも無く、所謂畦道と云ひますか農用道と云ひますか、 御屋敷への接續道路と云ひますか、さう云ふ道の橋と云ふ位置附な感じであります。
 此方右岸側からの眺めなのでありますが、當然の樣に親柱には何も書かれて居りません。
其に、左岸側は元々の用途から致しますと廢道と化してゐる樣子であります。

 隣に水路橋が竝ぶと云ふのが素敵であります。
 現役施設でありますね。
新しい止水板が素敵であります。

 其と、川面へ降りられる樣に成つてゐるのと石積の護岸も素敵であります。
 高欄の形から、江沼川本流に架る名稱不明橋と同じ印象でありますから、竣功は昭和卅年前半頃だらうと思はれます。

 橋臺が其周圍の護岸も兼てゐる樣であります。
 併し直隣に三四一號線の橋が架つて居りますので、ぱつと見には舊道かと思つて仕舞ます。

 因に、桁が見えてゐるのは水路橋の物でありまして、其方は二徑間と成つて居ります。

 して、此方の橋は多分單純桁と云ふのかスラブ形式と云ふのか、さう云ふ橋だと思ひます。
多分。

 次は田植ゑ時期にでも來て、水路に水が流れてゐる姿を見てみ度い處であります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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