高根澤町文挾 本郷橋

2673年 5月 14日 探訪

 此方は栃木縣道十號線が市ノ堀を渡る橋、本郷橋であります。

 栃木縣道十號線に關しましては道路の方で遣りますので割愛致しますが、此方の直ぐ横に舊々道の橋が架つて居ります。
但し其方は無名状態に成つてゐるのでありますが、若しかしますと其方が舊本郷橋で、此方が新造されたので其名稱を讓つて現在に至ると云ふ感じなのでせうか。
飽迄も拙の推測なのでありますが。

 因に今囘は寫眞を撮つて居りませんでしたので、三月五日に來た時に撮つて措いた物を使用致す次第であります。

 では、此方右岸側から見て行きます。
 市の堀。

 「ノ」では無く「の」。
勿論、「乃」でも無い、と。

 ええと、では正式なのは市の堀と云ふ事でせうか。
でも完成當時の江戸時代風に書けば市乃堀、で良いのでありますよね。

 相變らず日本語つて難しいのでありますが、まあ、意味が通じれば細かい事は氣にし無いに限ります。
でもまあ、拙は市ノ堀に統一して措きませうかね。
 本郷橋。

 之が讀みに惱みます。
「ほんごうはし」なのか「ほんごうばし」なのか「ほんごうきよう」なのか。

 其はまあ措いとゐて、親柱の意匠的には別段アレでありますが、銘板の邊りを一段深くする等の見榮の良さには氣を配つてゐる樣であります。
 横から見ますと、まあ、高欄は昭和卅年代から四十年代物件に特徴的な物であります。
其と、桁はと或る資料で分つたのでありますが、混合橋と云ふのださうであります。

 後、勾配が附てゐるのが特徴的でありますかね。
 して、横に工事銘板が附られてゐました。
昭和四十一年三月竣功なのでありますね。

 意外と云ふか流石と云ひますか、一等橋なのでありますね。

 では左岸側へ移動致します。
 市の堀。

 此方は兩岸で對稱な銘板が附られてゐる橋の樣であります。

 と云ひますか、何か凄い状態に成つてゐるのが何と云ひますか、實際。
 本郷橋。

 何か其々の角度が微妙に違ふと云ふか合つてゐ無いと云ひますか、何か變な感じがするのでありますが、うん、まあいいです。
 御負け的要素の物でありますが、舊々道との分岐部分に在る色々な物であります。

 標識柱跡と地積調査は分るのでありますが、右手の物は何なのでせう。
別に境界標と云ふ譯でも無ささうなのでありますが。

 昭和四一年の竣功當時は縣道の交通量増大も見越しての一等橋だつたのだと思ふのでありますが、其以上に現代では交通量が増大し、 新たにバイパスが造られてて舊道化して仕舞ひました。
御蔭でのんびりと見られた譯でありますが、今でも十分に、否、今の交通量では十二分以上に通用する立派な橋だと思ひます。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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