2675年 11月 17日 探訪
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此方は栃木縣道六三號線の落合橋から四百米程西荒川を上つた處に架る橋であります。 地圖で見てもさうでありますし、實際に現地で見ても結構立派な橋が架つてゐるのだなと、正直、不釣合な感じが致したのでありますが、 古地圖で見ますと、何と此方、現在の栃木縣道六三號線の前身に當る道だつたのでありますね。 現在の道筋が昭和廿年代に出來た物の樣でありまして、其迄は此方が主流の通りだつたのでありますから、當然其に見合ふだけの立派な橋が架つてゐても當然、 と云ふ事でありますね。 それでは此方、左岸側から見て行きます。 |
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西荒川橋。 高欄がガアドレイルの橋にしては珍しいと云ひますか、立派な親柱が建つて居ります。 或る意味此方、 【鹽谷町舟生 高橋】 に近いのかも知れませんね。 |
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西荒川。 して、まあ元々高欄のガアドレイルの色は白色だつたと思はれるのでありますが、現在では環境に配慮した色と云ひますか、國定公園だつたら國立公園だつたかに準據したのか、 焦茶色に塗られて居ります。 |
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排水桝は鐵管のみと云ふ處であります。 |
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して、其ガアドレイル高欄は古初代の物でありまして、當然の樣に-螺旋で固定されて居りました。 |
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而も、ちやんと桁毎に分割されて居ります。 では、右岸側へ移動致します。 |
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昭和三十九年十二月竣功。 成程、ガアドレイル高欄の橋の中では可也早い時期の物では無いでせうか。 否、寧ろさう云ふ實驗的な要素を含ての架橋だつたのかも知れませんね。 |
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にしあらかわばし。 縱に無理矢理文字を詰込んだ樣な配列で、或る意味難解文字的な見榮に成つて居りますが、其も御愛嬌と云ふ處でせうか。 |
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横から見ましたら、何と混凝土桁橋では無く鈑橋でありました。 否、之は實に珍しいと云ひますか、昭和三十年代で之は正直、滅多に御目に掛れ無い物では無いかなと云ふ印象であります。 ガアドレイル高欄の鈑橋何て昭和四十年代の物だらうと許思つて居りましたから、斯う云ふ物件が在つた事に驚きでありました。 其にしましても、例の水害後でありますので流木が大變な事に成つて居りますが、良く橋は耐へた物だと感心致します。 以上、御附合有難う御坐いました。 |