鹽谷町佐貫 無名橋二本

2675年 4月 28日 探訪

 今囘は此方、 【鹽谷町舟生 高橋】 の後に見忘れた橋であります。

 泉川が鬼怒川に合流する直前の橋でありまして、竣功は多分風見發電所と其導水路と同時期でせうから、昭和卅年代後半かと思はれます。

 御覽の樣に、もう既に廢橋と化してゐると云つても過言では無いと思ひますが、別段通行止の措置はされて居りません。

 と云ひますか、之見て渡り度いとか普通は思は無いと思ひますが。
 右岸の橋臺附近に謎の穴を發見したのでありますが、何でせう。

 多分何處からかの排水口かと思ひますが、今は機能してゐ無い樣であります。
 右岸からの眺めであります。

 最初から斯う云ふ具合に架橋されたのでせうか。

 併し其な筈は無く、昭和五十年の航空冩眞ではきちんと眞直架つてゐるのを見る事が出來ますので、何かしらの理由で斯う成つて仕舞てゐる樣であります。
 して、さう、律儀に親柱が在るのであります。

 當然の樣に無記名でありますが。
 同上。
 直隣には自動車も通れる橋が架つてゐるのでありますが、何か此方も假設橋の儘今に至ると云ふ感じであります。
 此橋脚では、ねえ。

 一應、連續桁橋と云へば良いのでせうか。
如何でも良いと云ふのが一番でせうが。
 正面から見ますと、何處が橋なのかもう分ら無い状態であります。
 して、其橋から眺めてゐるのでありますが、此方の橋脚、末廣りに柱が立てられてゐるのが珍しいと云ふ感じであります。

 一應三徑間の橋なのでありますが、奧の橋脚との高さが違ふのは、龍騎と陷沒が起つたか何か、なのでせうね多分。

 と云ふ事で、之がアレで渡るを躊躇した譯であります。

 因に、柱には「スピンパイル」と書かれて居りました。
 左岸側の一徑間が完全に藪の中であります。

 唯、斯樣な状態でも水平を保つてゐるのが凄いでありますね。

 では、左岸側へ移動致します。
 其で以て、左岸側からの眺めでありますが、直前迄近附か無いと何處に橋が在るのか分ら無い程の藪であります。

 之でも一應桁の上に乘つて一歩踏出して寫してゐるのが御分り戴けるでせうか。
 で以て、當然と云へば當然でせうが、左岸側の親柱も健在であります。

 勿論無記名でありますが。

 併し此親柱、何で人道橋のなのに内側に倒れる樣に曲つてゐるのか謎であります。
 此方は眞直に立つて居りました。

 まあ、不取敢變り種物件と云ふ事で取上た次第であります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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