鹽谷町舟生 東沼倉橋

2674年 9月 30日 探訪

 日光北街道依り八百米程南寄り、栃木縣道七七號線依り七百米程東寄りの、一寸した山間と云ふか、里山の麓で泉川に架る古色蒼然とした橋であります。

 高欄の意匠からしまして、之は御寳かと思はれるのでありますが、扨、じつくり見ると致しませう。

 と云ふ事で、此方右岸側からであります。
 泉川。

 をゝ、逆傾斜型の親柱でありますか。

 柱の上に飾りも附て居りまして、中々に凝つた造りであります。
が、何と無く銘板が綺麗と云ひますか洗練された意匠と云ひますか、若かしますと思てゐる樣な年代の橋とは違ふ雰圍氣も御坐いますので、 一寸横からも眺めて見ます。
 ふむ、逆傾斜ではありますが、道路正面側は平板の樣であります。

 其と、排水桝は路盤上に堆積した土で見えませんでしたが、四角い鐡管が出てゐる處から排出される、されてゐた樣でありますね。
四角と云ふのも珍しいと思ひます。

 でありますが、さう、何か、上物に對して橋脚の違和感が凄いのであります。

 戰前物件かなと思つたのでありますが、矢張違ふのでせうか。

 と云ひますか、如何遣つて、何が打當つて親柱の上邊の角、壞れたのでせう。
 東沼倉橋。

 何でせう、大字舟生字沼倉と云ふ事、且つ其東側と云ふ事でありますかね。

 併し銘板の意匠も隨分凝つて居りますね。
四隅の縁取りとか初て見た樣な氣が致します。

 では左岸側に移ります。
 昭和四十二年三月竣功。

 思ひ切り嘘の樣な意匠なのでありますが、さうだと銘板に刻まれてゐるのでありますからさうなのでありますね。

 云はれて見れば、確に斜橋でありますからさう云ふ年代なのだと思ひますが、では何故に斯う云ふ上物の意匠に成つたのかが謎であります。
 ひがしぬまくらはし。

 まあ確に、西暦1967年でありますから逆傾斜の親柱も納得なのでありますが、之、若かして舊橋からの架替時に、舊橋と同樣の意匠にしたと云ふ感じなのでありますかね。
 之は如何見ても昭和一桁、遲くても昭和十年代頃迄の意匠だと思ふのでありますよ。

 此處だけ見ましたら、誰でもさう思ふ筈であります。
橋好きでありましたらね。
 其竣功年度でありましたら、此橋脚も玉石積も定番でありますからさうなのでありますよね。
但し土臺の邊は後年に成り補強されてゐると思はれますが。

 併しまあ、此意匠にパイル形式の橋脚は似合は無いでありますなあ。
出來れば尖頭型の橋脚にして欲しかつた、と云ふ感じでせうか。
 でも例へば、斯う云ふ感じに寫眞を加工すれば戰前の風景にも見えて仕舞さうな感じなのでありますが、之が河川改修後の風景とは、何共不思議な感じであります。
 但し斯う云ふ部分を見て仕舞と戰後物件だなあと再認識して仕舞ます。
戰前物件でありましたら表面は洗出仕上に成つてゐたでせうからね。

 壞れ具合は良い雰圍氣なのでありますが。呵呵

 でもまあ、良い物見させて戴きました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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