鹽谷町鳥羽新田 名称不明吊橋

2672年 11月 19日 探訪

 東荒川ダム手前の栃木縣道六三號線舊道の樣子でも見に行かうかと思つてゐた時に、其手前、鳥羽新田の舊道部分に目を遣つた處、偶々目に入つた吊橋であります。
其舊道部分の樣子や諸々を見た後に寄り、じつくりと觀察致しました。

 實際には、舊道部分依り少し東荒川添ひを下る樣に道を逸れた先に在りました。

 何か可也草生してゐるのでありますが、現役物件なのでせうか。
 不取敢右岸側眞正面から。

 刈拂ひ等はされて居りませんが、別段封鎖してゐる譯でも無いので、現役物件なのでせう。
主塔は土臺の混凝土でしつかりと固定して有ります。

 併し、橋名か何かが書かれてゐたであらう板、綺麗に文字が消て居ります。
 振返りアンカレツジを見ます。
鐵索はU字金具で何箇所も留められて居ります。

 主索に結ばれた黄色い繩は何の意味なのでせう。
頭上注意と云ふ事でせうか。
 横から・・・は、見ても草で見えませんwwwww

 拙も草生やして仕舞ひますよ。
 では渡つて見ようと思ひます。

 何と無く踏板の状況的には如何なのかなと思つたのでありますが、別段問題無く安心して渡れさうであります。

 嗚呼、某名称不明橋依り格段に上の安心感であります。
 とは云へ、何と無く歪んでゐる樣でありますし、對風索も無いので、一寸だけ不安だつたと云ふのは内緒であります。
 無事渡り切りまして、左岸側のアンカレツジを見ました。
て、思ひ切り田圃の中に在るぢやありませんか。

 之つて田植ゑや稻刈の時、邪魔に成ら無いのでせうか。
 因に此橋、如何やら田圃仕事の爲に架つてゐる樣な雰圍氣なのでありますが、詳細の程は航空寫眞等を見るだけでは何共云へず難しい處であります。

 昭和五十年や其以前の航空寫眞を見てゐますと、近くに"若しかして索道でも在つたのかな"と云ふ直線的な跡が見え無くも無い状態でありますので、 元々は林業關係の爲に架けられた橋なのかも知れ無いと推察した次第でありますが、勿論正確な事は分りません。

 唯、ずうつと吊橋だつたのかと云ふと微妙でありまして、西暦2006年の寫眞でもアンカレツジの存在と、其を避ける樣に成つた道が見え無いのであります。

 と云ふ事で、若しかしますと最近の物件なのかも知れません。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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