鹽谷町肘内-矢板市大槻 農用道橋

2672年 10月 15日 探訪

 友人から"荒川に架る、カアナビの地圖に載つてゐ無い凄い橋を偶々見附た"と云ふ情報を得ましたので、自分の目でも確かめ度く思ひ探索に出掛ました。

 場所は東北自動車道の荒川橋梁から四百米程上流側であります。

 が、成程確かに凄いであります。
單にH鋼で組んでゐるだけの簡易的な橋の樣でありますし、而も半分程で作りも色も若干違ふと云ふのが何共言へぬ味はいと成つて居ります。
 をゝ、此は中々な物件であります。

 鐵骨の上に鐵板の路盤が在るだけで欄干も何も御坐いませんから、之、徒歩や自轉車で渡るには轉落の恐怖も無きにしも非ずと云ふ感じでありまして、 決して橋上で自動車とは擦違ひ等し度く無いであります。

 而もいざ渡つて見ますと鐵板がペコペコ撓みますし途中で若干狹く成りますので、中央部分でも怖かつたであります。

 まあ不取敢此方、矢板市大槻の左岸側から見て行きます。
 と云ふか、先づは桁や橋脚から。

 橋脚の土臺は上流側の方が混凝土が高く成つてゐます。
若しかして増水した時の爲の對策でせうか。

 さう、確か此方何時だつたかの臺風で被害を被り架換へだつたかの補修を受けて居りますので、多分此方左岸側の桁がさうだつたと云ふ事なのでせう。
でありますので桁の色も違ふ樣で、左岸側が赤、右岸側が薄緑であります。

 橋脚の構造の違ひますね。
 左岸側の橋臺であります。

 正に突貫工事だつたのでせう、荒々しい造りであります。

 では右岸側へ移動します。
 此方は混凝土造りの橋臺であります。
其と、橋脚の造りの違ひ、御分り戴けるだらうか。

 併しH鋼が變形してゐる具合、多分臺風での被害なのだと思ふのでありますが、如何に自然の力が凄いのかと改て思ひ知らされます。

 後、支承、と呼んで良いのか如何かアレでありますが、桁が載つてゐる部分の鋼材の出具合、何か下流側とでは長さが違ふのであります。
其だけずれたと云ふ事なのでせうか。
 して、架橋年は何時頃なのだらうと思つて簡単に調べて見たのでありますが、航空寫眞で見ますと昭和四五年には未だ無く、昭和五十年の寫眞では確認する事が出來ました。
まあ大凡昭和四十年代後半と云ふ事であります。

 併しまあ、遠目からは御覧の樣な見え方でありますし、農耕車のみと云ふ様な表記でありますので耐荷重が低いのは確實でせうから、注意書の看板に従つて欲しいであります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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