2678年 7月 2日 探訪
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此方は國道四百號の那須野ガ原公園入口交叉點から三キロ程那須疏水幹線を上つた處に架る橋であります。 明治の地圖から表記されて居りますので、開拓時代や其以前からの道筋なのだらうと思はれますが、現在の橋は何代目に成るのでせうか。 不取敢ぱつと見で昭和廿年代から卅年代ころの橋かと思はれますが、其實如何でせう。 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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うゝむ、銘板だけで無く親柱自體も壞れて居りまして、辛うじて「はし」しか讀めません。 まあ多分、上は四文字か五文字相當では無いかなと思へるのみであります。 |
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那須疏水。 「水」の部分が破損して居り判讀困難な状態に成つて居りますが、下の方の「拂ひ」からして「水」と分りました。 |
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高欄は全て混凝土で出來て居り、四箇所程菱形に開いてゐると云つた意匠であります。 其と、親柱は橋臺側に在るのでは無く、高欄の柱が兼用されてゐる樣であります。 では右岸側へ移動致します。 |
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竣工 昭和三十年十一月。 嗚呼成程、昭和廿年代最後の年と考へれば納得の意匠であります。 【今市市室瀬-吉澤 荒神橋】 等に似た感じでありますし。 |
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横接橋。 さう、最初此方の一文字目が判讀不能で散々手こずつたのでありますが、色々調べました處、此方の南側に接骨木(ニハトコ)と云ふ地區が御坐いまして、 其近邊に明治時代に横接學舎と云ふ學校が在つたと云ふ事でありまして、だつたらと思ひ破損してゐる一文字目も良く見た處、多分「横」で間違無いと思ひ、 多分此方、「横接橋」で合つてゐるだらうと思ひ、記した次第であります。 違つてゐた場合は、何方か御一報戴ければ幸甚であります。 |
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横から見ました處、此方は牀版橋と云ふ形式の樣であります。 |
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橋上から見ました現在の那須疏水幹線であります。 多分何度も改修されてゐるのでせうが、現在では川牀も綺麗に、多分混凝土が敷れて居りました。 まあ、良い物が見られました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |